武相貯蓄銀行
尾上町4丁目59-60番地
明治32年(1899)に平沼町2丁目で設立し明治40年(1907)富竹亭の隣に新築竣工した。大正元年(1912)親銀行の平沼銀行から手形交換を拒否され臨時休業に追い込まれ、大正4年(1915)解散。
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「明治三十二年神奈川県郡部の資本家を糾合して武相貯蓄銀行を横浜市に設立したるもの其四也。武相貯蓄銀行は神奈川町、程ヶ谷、都筑郡都田村川和、横須賀、高座郡溝、久良岐郡金澤等に支店を有し、其行務は確実と敏捷とを以て、本県全体に亘り最も信用ある金融機関たるは既に定評の存する所にして、氏は創立以来の頭取として全力を傾注しつゝある所ろなり。」実業之横浜
縣下郡部に勢力を有する 武相貯蓄銀行「營業の秘訣は地の利に存す、尾上町通り馬車道の一角、新築の洋館は之を株式會社武相貯蓄銀行となす設立は明治卅二年にして、四十年九月現營業所に移轉す、頭取石井虎之助君は素封家の聞へあり、本店支配人新藤新平君操觚者より出で敏腕家たり、重役諸氏何れも郡部の名望家なり、資本金十二萬五千、積立金五萬二千百五十圓を算す、本行は始め武相各地の金融機關として、地方有力家の創立せし所にして、當初平沼町にあり、行務の隆盛
とゝもに神奈川、保土ヶ谷、金澤、横須賀、溝、川和、川崎の七ヶ所に支店を設け、益々圓滑に發展しつゝあるは慶すべきなり、」横濱成功名誉鑑
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