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松川屋薪炭店 翁町

松川商店 田澤道安
薪炭店
翁町1丁目5番地
(1330)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

松川屋石炭薪炭店 田澤道安「田澤家は横濱の旧家にして元町に住せり、 先代田澤氏開港當時現業者少なきを憂い、 南仲通一丁目に石灰商を始め、市草創の際頗る繁榮せしかば、次で更に薪炭商兼營し、爾来市の發達と共に需要増大し、莫大の利を得て松川屋の名喧傅するに至る、現主は武州川越町渡邊喜翁氏の三男にして嘉永二年の生れ、十二歳東京に出で商家の厮養となり、辛酸十年、後明治元年横濱に来り田澤氏の養嗣子となれり孝養と精勵とを以て聞こえたりしが、往年家督を相続するや、 現所に支店を開きて一層業務の擴張を図り後本店を現所に移す、君また公共の事に盡す所尠なからず、戦時其の功により、金銀木杯、賞狀、感謝狀等を賜はる事数回、薪炭商組合長に推され義勇艦隊地方委員、赤十字社員等を兼ぬ」横濱成功名誉鑑

田澤道安「崎嘔催鬼たる行路の難鯨波澎湃たる航海の険は山に非ず水に非ず唯是れ人生世に處するの間にあるのみ故に其の難を凌ぎ険を冒して初めて目的を達するを得即ち田澤道安君の生涯は是れを證明してり餘りあり君年甫めて十二出で東京浅草區西仲町の鈴木定兵衛氏方の店丁となり精勤すること十ケ年其の間君は如何に辛酸痛苦悲哀の日月を経過したりしかされど名剣利刀を得んとすれば百錬を経ざるべからず既にして明治元年九月を以て横濱に出で元町の田澤又右衛門氏の養嗣となる養家は元農を以て業とせしが開港當時より薪炭石灰蠣灰等の販売を営む君此處に至って堅忍不抜の忍耐力と着實周到の意と彗敏迅速の商略とを以て孜々営々として一日の安を貪らず一刻の閑を荀もせず 其功果今日の如き繁榮旺昌を来したるは即ち勤勞に酬ひられたる當然の褒賞ならずや現今にありては販路の廣き信用の厚きを以て市中に鳴るに至れり資性慈愛の心深く公共の念んにして之れ等の事業に関しては屢々財貨を吝まず施捨寄附せること尠からず君の意に叶はざるは後継者の未定に して令息及び令孫に世を早うせられたるにあり然も善因あるものは善果ありの積善の家には餘慶ありと将来必ず好個の承継人の出づるや必せり君は嘉永二年九月十日を以て埼玉入間郡川越町に生る實父を渡邊喜翁と云ひ君は其の三子なり家は代々水車業にして幼名を道三郎と呼びしも後道安と改む幼にして穎敏聦悟機敏捷慧一を聞いて十を知るの明ありき要するに君が今日の地位に至りしは勤儉行刻苦奮励の餘に出で粒々辛苦の汗を絞りて一朝一夕の荀安貪らざりしが故にして彼の徒に優遊逸楽して空理空想に一生を経過する徒輩に好個の龜鑑を垂れしものと謂ふべし」京浜実業家名鑑

上田写真版合資会社 翁町

神奈川縣案内誌
上田写真版合資会社
絵葉書屋
翁町3丁目131番地

明治30年頃     上田商店雑貨貿易商を設立 住吉町1丁目4番地
明治31〜32年頃  羽衣町1丁目4番地へ移転?
明治32年9月8日  宮崎写真版印刷所 元町1丁目7番地に設立 上田義三出資
           上田義三の住所は翁町3丁目83番地
明治33年3月20日 宮崎写真版印刷所解散 清算人上田義三
明治33年      横浜写真版印刷所設立?元町1丁目7番地
明治38年      翁町3丁目131番地に移転
大正 2年3月26日 上田写真版印刷所設立 翁町3丁目131番地
大正 3年6月08日 自宅を山吹町2丁目6番地に転居か
大正 8年3月    上田義三商店設立?山吹町2丁目6番地
大正 8年5月24日 上田写真版印刷所解散
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

横濱寫眞版印刷所 上田義三「絵葉書の流行は今日こそ盛大であるが、未だ世人が此嗜好を知らぬ時、凤くも意匠に熱中して居た人物は上田義三君である、君は慶應元年東京に生れ十五歳で出濱した、東京濁逸學校に學んだ縁故から、同校教師の紹介で山下町、ハア、アーレンス商會に入り、十六年間在勤して店主の信用を得、明治二十八年商業視察の爲め歐米漫遊の途に就き一ヶ年の後歸朝したが、不幸にも同商會は大失敗を爲し、それが為め君の目論見凡て瓦餅に歸した、三十年谷戸坂にコロタイプ印刷業を創め、寫眞版の印刷を爲すと同時に官製葉書に風景人物を印刷して販賣を試み、今日流行の動因を作つたのである、三十八年現所に移輾し、工場を擴張し、益々發展して居るが、實に君は横濱市に於ける斯業の元祖なのである、」横濱成功名誉鑑

實業之横濱

神奈川県銀行会社実業家名鑑

御大典奉祝 翁町

御大典記念 翁町
通り左手前が翁町1丁目15番地の服部和洋紙店
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

三電舎 翁町

三電舎
電気業
翁町1丁目1番地
明治41年に共同電灯株式会社の取扱工事代理店として設立。電灯に関する業務を請負った。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

電機業三電舍 乾馬太郎「君は東京の人なり、横濱電燈株式會社創立以來十有九年の久しき、電工取締として、取付工事及設計の監督を爲し、善く其職務に盡瘁せられしかば四十一年三月退社するに及びて、社長及技師長等はよく其職責を盡せしを賞して感狀を贈られしといふ、君は四十一年四月共同電燈株式會社の取扱工事代理店として三電舍を創立し、電燈に關する諸般の請負を代辨し、元町に於ける井上電機店櫻木町なる野澤組と共に市內の申込を引受け熱心に勉强され つゝあり、」横浜成功名誉鑑


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原久洋服店 翁町

原久洋服店
洋服製造
翁町1丁目1番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

広田和洋小間物商店 翁町

廣田商店
和洋小間物
翁町2丁目16番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

ふくや石井太物店 翁町

現在の横濱
ふくや 石井太物店
地織木綿
翁町2丁目26番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

岡田羅紗店 翁町

實業之横濱
岡田羅紗店
羅紗
翁町1丁目10番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

羅紗販賣商 岡田貞一「經費を出來得る限り節し、成るべく多額の商品販賣に心掛けて居る羅紗商岡田屋は、先代與助氏の有らゆる勞苦を甞めて其の基礎を作ったものである、先代は郷里千葉縣東葛飾郡に在つて農を業として居たが、明治十五年橫濱に來り、羅紗の販賣に從事したので漸く信用を得、飛躍の緒を拓いた際不幸にも廿五年三十七歳の壯齡を以て逝かれた、爾後未亡人の手に家政の煩と店務の忙とを處理せらるゝ事十年、當主貞一君の長ずるに及んで三十五年家督を任し、今は着々として發展の途に就いて居る、當主は明治十二年の出生で、年少氣前途の造詣測るべからざるものがある、」横濱成功名誉鑑

大谷屋薪炭問屋 翁町

神奈川縣案内誌
大谷屋大谷倉次郎
薪炭問屋
翁町5丁目143番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

萩原六太郎金属商店 翁町

神奈川縣案内誌
萩原六太郎商店
金属商
翁町1丁目7番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

近江屋桜井清二郎商店 翁町

神奈川縣案内誌
近江屋櫻井清二郎商店
糸販売
翁町2丁目16番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

バラン用メキ絲の發明者 櫻井清次郎 近江屋絲綿店「一事一物を考究し之を活用して世を益するは尋常人の能くする所にあらず、櫻井清次郎君長く絲商として深き經驗を有し、パテン加工用に高價なる舶來絲を仰ぐの不利益なるより、之に代るべき和製絲を作らんことに腐心し、潜心考慮の結果八年以前よりメキ絲と稱する新品を製造發賣するに至れり、同品は一見舶絲來品に劣らず盛にパテンに應用せられ、漸次刺繡にも使用するに至れり君は刺繡界に於て名聲籍甚、其刺繡用メキ絲、絹撚絲、組物ネクタイ等は需要者の賞讃を博し、各府縣の共進會、品評會及び博覽會等に出品して夫々賞牌を得たら、君は文久三年東京青山に生れ、六歲の時父君と共に當地に來り、十二歳にして本町岩田商店に入り、忠誠職に當り深く主人の信用を得、年三十三期滿ちて獨立し不老町一丁目に絲綿荒物商を開業せしが、間もなく不幸祝融氏の奇禍に會し、多年努力の結果一朝空しく灰燼に歸したれども、屈する所なく更に現所に雄大なる店舗を新築し、七八年前よりは盛んに輸出向の絲を製造し、業務甚だ盛大を極め居れり、君の今日の成功は蓋し君が天賦の禀才に負ふ所多しと雖も、また勉勵事に勤めしの結果なり、青年の士深く鑑むべきなり、」横濱成功名誉鑑

兼松機械商店 翁町

東京金物新報
兼松商店
諸機械付属品直輸入商 
翁町3丁目131番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

藤田銅鉄問屋商店 翁町

東京金物新報
藤田商店
銅鉄問屋
翁町1丁目14番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑