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平沼銀行 伊勢佐木町

平沼銀行
銀行
伊勢佐木町1丁目2番地
慶応元年(1865)平沼専蔵が本町4丁目で引取商を開業、その後本町2丁目に『石炭屋』(屋号)を開店した。明治43年(1910)専蔵の三男の久三郎が頭取となって平沼銀行を開行、大正5年(1916)伊勢佐木町1丁目2番地に移転した
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


横浜社会辞彙

横浜商業会議所

水戸屋足袋店 伊勢佐木町

水戸屋
足袋商
伊勢佐木町2丁目19番地
明治32年(1899)雲井町大火前の伊勢佐木町、水戸屋足袋店か
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

第一東京ビアホール 伊勢佐木町

第一東京ビーヤホール
ビアホール
伊勢佐木町1丁目2番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


和英横浜案内

廣盛堂薬店 伊勢佐木町

櫻井廣盛堂
薬種売薬卸問屋
伊勢佐木町1丁目10番地
(749)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

廣盛堂藥房 櫻井久三郎廣盛堂藥店の三方は毒下し眞効丸風藥速効丸眼藥點明水である、店主櫻井久三郎君は弘化三年の生で武州秩父の人明治九年當地に來り、元町で始め住吉町に移り藥店を營みしが、十八年伊勢佐木町に店舗をトし、數多の店員を使役して市の内外に行商せしめ、専ら救生を以て自ら任じ、天職の如くに其業務を擴張されたは 只管感心の外はない、そこで此の老舗の繁榮は叉非常のもので、各地との照會往復織るが如く朝夕店頭に人の絶ゆるとなき壯觀を呈して居る、何商買でも勉强と根氣には當る敵がないと云ふのは、確かに君の店舗がよく適例を與へて居るとは决して贅言ではない、君は幼年より斯業に經驗が深く、加ふるに當市の古参株で同業の信頼も中々重く、現に同業團體の艸樂會の幹事に推されて居る、養嗣子鶴三郎君溫順にして又能く客を遇し、副店主として家運の隆昌を助けつつある、」横濱成功名誉鑑


神奈川県銀行会社実業家名鑑

越前屋呉服店 伊勢佐木町

越前屋
呉服卸小売
伊勢佐木町2丁目21番地
明治16年(1883)吉田町で開業した横浜4大呉服店のひとつ
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

越前屋 太田與市「當港繁栄の中心に位置し最新流行物一として是あらざるはなく店頭常に顧客の絶ゆる時なし以て其勉勵を知るに足る」京浜名家総覧職業

「店主太田與市氏は堅実なる商業家を以て知らる従って其営業方針も氏の性行に伴ひ着実を以て主義とす然れども時勢と共に推移することは一歩も他に譲らず、大呉服店の一に屈指せられ野澤屋、鶴屋相模屋等と併せ称せらる、品種多くして営業確実なるが故に同業者中尤も信用厚し。」現代之横浜

伊勢佐木町通の美觀越前屋呉服店 太田與市「横濱の熱閙區なる伊勢佐木町通りに、三層の白堊電光に輝やいた一大不夜城を現出した、唇氣樓か龍宮か、渡津姫にやあらむ天津乙女にやあらむ、幾百幾千の嬌態蜂腰、輕羅嫋やかに、衣袂香しく楚々として蓮步の絶へざるものは、他なし越前屋呉服店である、店主太田與市君の父なる人が越前國勝山町より來りて、吉田町一丁目に呉服太物を鬻きしは去ぬる十六年の頃であった、數回祝融は同店を見舞ひしが世にいふ燒太りでもあらふか、否店主の精力と忍耐で一難毎に益々奮勵勇氣を惹起したのである、卅七年に現主相續して以來一層の發展を加へ、時運の進歩に伴れて、四十一年一月工學士遠藤於菟氏に設計を托し、最新式の鐵骨白煉浘三層の陳列場を建築された、實に月を重ぬる十五、翰奐の大なる装飾の美なる陳列塲あり、運動塲あり、喫茶室あり、吾人の理想とせる模範商店の各要部は遺憾く此處に發揮された、巳に此店舗あり、內容豈瓦礫を錦繡もて包まんやで、一般婦人を中心とせる流行界の品物、呉服類は云ふ迄もなく、化粧品西洋小閒物雜貨類を一括して陳列し、驚くべき低廉價額のデパートメント式を用ゐたる主人の奮發は實に言語に絶す、されば店員も能く其主の意中を躰し、飽く迄實直に且懇篤に、顧客に應接する樣は等しく滿足する所である、由來横濱は豪奢の地、全國に於ける有數の呉服店啻に二三に留まらず、其間に介在して一頭地を抜ける働き振りは目醒しき限りである、君は甞て獎兵義會幹事として盡力され、双現に呉服商組合委員伊勢佐木町二丁目會副組長として推重さる、年齒正に四十四、」横濱成功名誉鑑


現代之横濱

安川支店鈴木幸平薬店 伊勢佐木町

現在の横濱
安川支店本舗 鈴木幸平
薬種
伊勢佐木町2丁目15番地
(2126)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

安川藥店 主人鈴木幸平「自家の製薬は勿論内外有効の賣藥を備へ和洋の薬種化粧品滋養食料品の外醫療諸器械數十種を商なふ、家屋は新築せる和洋折衷式三層楼なるが故に通行の人目を留めざるはなし主人鈴木氏は推されて衛生組合長たり夙に慈善博愛を旨とし苟も悲惨の事あるを聞けば率先金を投じて撫恤の同情を寄するに急なり店頭憐みを乞ふもの日に幾人自から起きて物を與へ曾て家人をして與り知らしめす常に心を公共に止め人に推さるれば事を以て辭せず而も之が爲め毫も営業に支障を来たさず公私兼ね行ふて綽々余裕あるものの如し、二男一女あり能く氏の性を受けて黽勉學に勵む業を開いてより數年店頭の顧客踵を接して晝夜斷えず」現在の横濱


神奈川県銀行会社実業家名鑑

天賞堂外套洋傘店 伊勢佐木町

天賞堂
外套洋傘販売
伊勢佐木町2丁目12番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

天賞堂洋傘外套舖 島田又右衛門「古くより伊勢佐木町にて改良正札附の洋傘外套を專門に販賣して信用確實を以て世人の高評を博したる老舗を島田叉右衛門君の天賞堂となす、君は關西の人夙に橫浜に來りて斯業に從事し、測苦勵精明治二十三四年の交創めて現在の店舗を開き、時流に投じて高尚優美にして堅牢廉價なる洋傘を製造販賣し、傍ら冬期は外套トンビ東コートを賣出し、斯界に於ては古参として有名なり、君年齒未だ知命に滿たず前途の發展期して俟つべし、」横濱成功名誉鑑


松坂屋食料品店  伊勢佐木町

松坂屋食料品店
和洋缶詰専門店
伊勢佐木町2丁目24番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

松坂屋食料品店 岡田清太郎「伊勢佐木町通りに最も目立つ最も美しき罐詰商店がある、是れぞ松坂屋とて斯業界に古き老舗である、先代長次郎氏は舊幕臣なりしが瓦解後は横浜に來り、堺町尾張屋商店に入りて商業を實習した名家の兒兩刀を帶せし人、前垂がけに立働く様如何にいぢらしく人や見たるらん、されど氏は平然として知らざるものの如く、 熱心商賣振の呼吸を呑込むに勉め、當時寂寥たる現所の前途に着眼し主家を辭して乾物食料品の店舗を開きしは明治十八年の頃であった、爾来着々として順况に赴き、現主清太郎君の代に至りては一層の盛大を極め、玆に於て漸次西洋食料品をも取扱ふに至り、近年に至っては専ら和洋罐詰専門となり、別に横浜電燈株式會社代理店を托せられ、數名の人を使役して集金等に當らしめ、今日にては何人も一たび停立願望する如き店舗となるに至った、」横浜成功名誉鑑


乾物屋時代の先代長次郎と松坂屋

福井屋呉服店 伊勢佐木町


福井屋
呉服店
伊勢佐木町2丁目23番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


横浜市商工案内

荒井料理店 伊勢佐木町

あらゐ料理店
料理店
伊勢佐木町2丁目14番地
荒井半之輔のあらゐ料理店。隣に荒井屋牛肉の看板が掛かっているが、こちらは荒井半兵衛、荒井半七が経営する荒井牛肉店同じ荒井で同じ番地だが両家は関係無さそうだ
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

あらゐ料理店 荒井半之輔「横濱市内の熱鬧區で、あらゆる飲食店軒を並ぶる中に、一際目に立つ構へはあらゐ料理店である、店主半之輔君は、藤澤の出身で、嘉永六年の生れである、明治の初年に横濱に移住し、此方面で料理店を始められたが、先年不幸にも回禄の災に羅り、結高樓一夜にして烏有に歸したので、間もなく再築して前にも増した繁盛である、君は若ふして能書の誉高く、和歌に川流に酒脱凡を超ゆるの妙ありといふことだ、性質も活撥で義侠に富み、公共の事業には我を忘れて奔走さるるは頼母しき限りである、」横濱成功名誉鑑

荒井半之助「市内に於て繁盛他に超越し粋士通客來り飲むもの多し坐敷又閑雅にして宏壮なり割烹の美價直の廉豈繁榮せずして可ならんや」京浜名家総覧職業

現代之横浜

樫山写真店 伊勢佐木町

樫山写真店
写真店
伊勢佐木町2丁目21番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

美術寫眞師 樫山敬吉「幾多の寫眞家中技術優秀撮影修理の術に於て一頭地を拔くものを樫山敬吉君とす、君は岐阜縣の人明治八年の出生にして、英語研究の目的を以て卅一年横濱に來り、英人に就き實習すること滿八年、其間玉村寫眞館に於て寫真術を習得し、卅七年現所に開店せり、君夙に我國寫眞術の進步せざるを慨し大に盡瘁する所あり、同業中出色の譽れを博す、曾て横濱寫眞会を起し、石井健吾君を會長とし副會長に日比野重郎君を推し、君は其幹事兼顧問となり君の工場を技術研究所とし、素人寫眞の普遍を圖る、君性親切洒脫風流才子として雅友多く、圍碁球戯は餘技として名手の班に列すと云ふ、」横濱成功名誉鑑

麒麟館西洋料理店 伊勢佐木町

麒麟館
西洋料理
伊勢佐木町2丁目23番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

横浜商況新報

越前屋呉服店新館 伊勢佐木町

越前屋呉服店新館陳列所
呉服卸小売
伊勢佐木町2丁目21番地
遠藤於菟の設計で明治42年(1909)竣工、1階は雑貨、2階は呉服太物、3階は均一、屋上は庭園だった
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

建築写真類聚

神奈川縣案内誌

萬太果物店 伊勢佐木町

萬太果物店
果物店
伊勢佐木町1丁目1番地
(1484)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

萬太果物店 成澤太吉「鐡の橋を伊勢佐木町に渡りて左の角店は萬屋菓物店である、開業は明治十二年で四季折々の果物を陳列して小賈が専門で、第一地の利を占めたのと永年の老舗とで日夜目の廻る程の繁昌である、主人成澤太吉君六十五歳は新潟縣の出身で、幼少の頃から江戸に出て果物商を營み、次で横浜に移ったのである、君は中々商法には機敏で、毎年夏期になれば店舗の一端を割ひて氷屋を出すことが例となって居る、冬期は林檎蜜柑に美觀を添へ、累々珠玉の如きは行人の歩を止むるところである、君は横浜菓實商組合副組長に推され、又赤十字社員として、公共のことにも盡力さるることが多い、」横浜成功名誉鑑

伊勢佐木町通

伊勢佐木町通
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

「横浜を見物するものは是非とも伊勢佐木町の賑ひを探らねばならぬ、東京の浅草公園、大坂の道頓堀と並び稱減られて我邦繁盛地として有名なることは少しく世間に明るきものの知らぬことはない、此通りは伊勢佐木町、松ヶ枝町、賑町通りの一体を總稱するものにて、先づ軒並は劇場、寄席、大弓場、魚釣場、射的場、玉突場などの遊戯場、日本西洋は申すもさらなり、支那料理の料理飲食店、其外書肆、小間物、寫眞師、雑貨店、日用品、贅澤品等を商ふ店があって、一度び此町に足を入れれば一つとして不自由を感ずることなく、殊に夜間は群衆往来して雑踏を極むるので知らず識らず夜の更くるのも覺へぬのである。」横浜案内