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下村玩具商店 松ヶ枝町

相州屋下村商店 下村金太郎
玩具商
松ヶ枝町
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

活動写真大祝館 松ヶ枝町

大祝館
活動写真館
松ヶ枝町
1903年に設立した京都の映画会社、横田商会が松ヶ枝町に開設したもの。横田商会は1912年に福宝堂、吉沢商店、M・パテー商会と合併で日本活動写真株式会社を設立する
大祝館については「横浜成功名誉鑑」にしか資料がなく、詳細調査中
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

左右田銀行松ヶ枝町支店 松ヶ枝町

左右田銀行松ヶ枝町支店
松ヶ枝町66番地
明治元年(1868)に左右田金作が両替店を開いたことに始まり、南仲通り1丁目2番地の本店を含め市内松ヶ枝町、寿町と東京人形町通り、四日市市に支店を持つまでになった。昭和2年(1927)金融恐慌で取付け騒ぎにより休業に追い込まれ、横浜興信銀行に吸収合併された。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

「横浜の富豪として理財家を以て有名なる左右田金作を頭取とし同一家の合資に成る。明治28年の創立にして資本金参拾萬円積立金六拾四萬円預金七百七拾六萬円の多きに上り正金銀行以外同行の預金に及ぶものなし此一事を以てしても同行の信用と基礎の鞏固とを知るに足るべし。」


大和屋シャツ 松ヶ枝町

大和屋シャツ
ホワイトシャツ各種シャツ製造
松ヶ枝町37番地
明治9年(1876)創業で本店は弁天通1丁目6番地、伊勢佐木町店は明治45年(1912)開店した。根岸に工場があり大和町の由来ともなっている。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


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武蔵屋熬豆店 伊勢佐木町(松ヶ枝町)

武蔵屋
熬豆店
伊勢佐木町1丁目1番地
(写真は松ヶ枝町、支店か、別の店か)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

武蔵屋熬豆店 川邉正義「熬豆を以て産を興せしといへば人は實にその根氣よさに驚かん、川邉政治氏は名古屋の人、世は西南の役とて兵馬倥偬の際志を立てて東京へと上りしが、事志と違ひて凡て徒労に屬せり、流遇の末横濱に來り、若干の資を擲ちて豆に代へ、はじけ豆を製して行路の人に鬻きしに、此畫策誤たず忽ちにして賣り盡くせり、随ふて熬り随ふて盡くす、轉々に幾回を知らす、諺に云ふ熬豆に花と、氏の運命や實に花の盛りなりき、かくして當市に於ける熬豆屋の元租として終に名題となれり、現主政義君(十五年出生)乃父の基礎に よりて、食料熬豆類一切を専業とし、殊に人造豆なる菓子は獨得の妙品として風味佳良是叉意外の好評を博し、武蔵屋豆の名遠近に響き、伊勢佐木町散歩の客必ず家苞にと購ひ歸へる、一粒萬倍冥利は一に此の店に集まりつ、人に仇なす悪鬼どもも、豆には到底敵し難きと見ゆるは實にも目出度き限りならずや、」横浜成功名誉鑑

三河屋羊羹店 松ヶ枝町

三河屋
羊羹
松ヶ枝町31番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

三河屋羊羹店 森源次郎「伊勢佐木町通を往來する人は紅黄紫白種々なる美色の蒸羊羹を店頭に陳らね、華客四時雑踏しつつある著名なる三河屋羊羹店を發見すべし、店主森源次郎君は明治五年を以て三河國岡崎に生れ、明治十三年父君仁三郎氏に伴はれ東都に出て、神田五軒町に菓子舗を開きしが、後横濱に來りて明治廿五年の頃松ヶ枝町勇座前に開店し、更科蕎麦店長谷川氏と隣り合ひて盛名を馳せつつありしが冊三年の大火に類焼の厄に遇ひ、其後目下の處に新築を為し生國の名に因なみたる三河屋號と共に賣出したる蒸羊羹は、敢て高雅と云ふにはあらざれど、却つて俗に通じ一般の嗜好に合し、焼失前に倍して賣行き好良にして、三河屋羊羹の名四方に喧傳す、君寡言沈毅、言へば必らず行ふの人、今日の成功蓋し偶然にあらざる也、」横浜成功名誉鑑

満利屋玩具店 松ヶ枝町

満利屋
玩具販売
松ヶ枝町5番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

満利屋翫具店 松村榮七「満利屋玩具店は本店を吉田町一丁目に支店を松ヶ枝町の有し、中々盛大の店舗である、主人榮七君は相州志多見村より出て幕府に仕へ、征長役に参加した古武士で、有名な剣客だといふ、道理で今に毎朝七時から八時迄の間に竹刀の音の勇ましく聞ゆ流は懐かしき限りである、満利屋といふ稱號は明治四年頃に何か商賣にありつかんと考へたが、武士の商法思はしきともない毬をかがって賣出した、是が始めで翫具屋となつて今日の繁昌を來たしたのだといふ、君は非常の日蓮凝りで、宗祖大聖人の経典を家に藏し、朝夕自己の行ひを省み自ら性行を修め、頗る慈悲心に富みて、其の救恤に與りしもの甚だ多い、他人に對する巳に然り、家族に向っても至て圓滿で、全戸十有餘人和氣靄然たるは隣保相傳へて羨む處であるといふ、」横浜成功名誉鑑

楽分館田島写真館 松ヶ枝町

楽分館 田島写真館
写真館
松ヶ枝町15番地
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薬分館寫眞舗 田島貞行「關外で最も繁榮の寫眞師として、率先ブロマイド寫眞の巧妙と夜間撮影の便益とを計って、多くの華客を得つ、ある楽分館田島寫眞店は、伊勢佐木町松ヶ枝町の一角にある洋館の一構が夫である、店主貞行君は伊勢龜山町の產、安政二年の出生で少壯の時神戶に出で、明治十年始めて横濱に來り、本縣巡査を拜命したが、思ふ所あつて十六年に辭職して勸業塲內へ寫眞畫の店を開き販賣する中、技巧に富んだ君は自然に寫眞術を自修し、廿四年一月松ヶ枝町六十六番地へ九尺間口の小さな寫眞店を開始した、成功する者始から大ではない、不幸卅二年の大火に類燒し翌年現在の所へ移つたが、又三十五年に類焼を蒙った、夫にも屈せず又々新築して開店しのが目下の建物である、今や多くの同業者中嶄然たる位置にあるは多年奮闘の賜と謂ふべ機である、」横浜成功名誉鑑

横浜商況新報

横浜角力常設館 松ヶ枝町

横浜相撲常設館
松ヶ枝町62番地
明治42年(1909)12月4日に松ヶ枝町相生座跡地に開館
春と夏に東京大相撲を興業し、平時は活動写真館として営業していた
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現代之横濱

伊勢海時計店 松ヶ枝町

伊勢海
時計眼鏡
松ヶ枝町32番地
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時計眼鏡商伊勢海 佐藤柴治郎「伊勢佐木町通の大時計店伊勢海は明治廿九年の開業である、店主佐藤君は早くより郷國愛知縣海西郡を出て多年海員を勤めて居つた、が後ち横浜に來り眼鏡商を營み、廿九年擴張して時計及び眼鏡を販賣し、漸次發展するに至つた、君は海員として海外に屡々航行し、各國の斯業者に就いて専ら其の知識を修めたのであるから、舶来時計の販出を以て長所としまた販賣高も多いのである、君の祖は妙兄と云ひ幕府に仕へて居たが、後年野に下り、以来塁世農を業として、現代柴治郎君に至るまで二十三代連綿として續いて居ると云ふ、現代の嚴父は茂兵衛氏と云って、郷里海西郡の一勢力家であつたが廿四年六十餘歳で沒した、海西郡は初代の開墾した土地で、目下佐藤姓を名乗るもの數百戸、雖然君の家が祖となつて仰がれて居るのである、」横浜成功名誉鑑

野田洋傘店 松ヶ枝町

野田支店
洋傘小売
松ヶ枝町2番地
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洋傘製造販賣業 野田與市「洋傘製造販賣業野田屋は明治十二年の開業にして、店主野田與市君は、明治五年福井縣大野郡大野村より出濱し、葉商家に奉公する事多年、其の間冗費を節して財を積み、終に獨立せるもの、初め尾上町に開店せしが(十二年)十四年現所に移轉し以て今日に及べり、斯業者中の老舗として今は伊勢佐木町二丁目に支店を設置し、専ら洋傘の製造と其の卸小賣に當り、益々繁昌しつゝあり、君廿六年洋傘組合を發起し、三十四年此れを洋傘交商會と改稱し今尙盛大なり、日露役に際しては町内に吉柳會なるものを設け、戰地寄贈品等に關し奔走せるなど功績|尠なからず、君安政元年 二月生る、」横濱成功名誉鑑

横浜電気館 松ヶ枝町

横浜電気舘
活動写真館
松ヶ枝町26番地
明治42年(43)勧工場東洋館を改装し開業した常設活動写真館。大日本活動写真株式会社の直営。
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神奈川縣案内誌

横浜貿易新報