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ファルサーリ写真商会 山下町

ファルサーリ商会
写真館
山下町32番
看板にわずかに見えるFarの文字、アドルフォ・ファルサーリの写真館であろう
明治16年(1883)サージェントファルサーリを設立、明治18年(1885)にファルサーリ商会に改称した
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


Yokohama and Vicinity

FAJIYAMA絵葉書商会 山下町

FUJIYAMA商会
絵葉書店
山下町34番地
横浜開港資料館編「100年前の横浜・神奈川」ではファルサーリ商会としているが、FUJIYAMA商会の誤り
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

市川国松食品商 山下町

市川國松
洋酒類食料品並ニ小間物商
山下町97番地
(854)
市川国松は山下町恤兵会である救護会の発起人で店舗は日露戦争時の横浜奨兵義会恤兵寄付金取扱所をになっていた
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

市川國松 山下町97番地「艱難人を玉にすとは古来幾度か繰り返へされし俚諺なれど余は君の一生に於て其の真理を具體的に認識するを得たるを喜ぶ君は嘉永六年二月静岡縣庵原郡奥衛町に生る父を小衛門氏と云ひ世々農及び商を兼ね營む君は其の五男なり六歳にして父を喪ひ母手に依りて養育せられ不幸不如意の裡に初等教育を了し明治二年横濱に出で元町一丁目に洋品食料及び洋酒店を営める實兄幸兵衛氏を訪づれ入りて同業を見習其の間少なからざる辛酸を嘗めと雖も拮据勉勵惓むことなく畧ば業務の一般に通通暁するを得たりし頃不幸にして兄幸兵衛氏二豎に冒され遂に歸國するの巳む能はざるに至りしかば君は其の後を繼續して益々業務に勉勵し家運愈々隆盛に赴きしが明治八年同市に大火ありて君が亦類焼し莫大の損害を蒙りしが君の勤勉と信用とは直ちに同所に以前の営業を開始するを得せしめたり翌年現所に轉宅して益々業務の繁榮を圖りたりしが同年再び同所に火ありて全焼の災厄に罹りしかば困難又困難殆んど再び起つ能はざるに至らんとせり然れども天は自ら助くる者を助くと勤勉に亞ぐに勤勉を以てし忍耐に亜ぐに忍耐を以てせしかば其の勤勞空しからず三たび同所に一大洋酒店を開業するを得るに至れり茲に於て君は寝食を忘れて業務に盡瘁し刻苦勉勵一身を家運の開發に捧げて数十年來一日も惓むことなかりしかば大に世間の信用を博し店運益々隆盛に赴き今は市内有数の大商家となるに至れり君又嘗て同市南京町に本邦人の籍を置く者僅かに二十七名に過ぎざるを憂ひ町内親睦會なるものを設けて一面町民の交誼を厚ふ傍ら實業の発達に資し廿三年より卅九年まで其の會長を勤め又明治卅五年同市商業會議所議員に撰ばれ今猶其の職に在り」京浜実業家名鑑


貿易新報

AH LONG & CO.洋服店


AH LONG & CO.
洋服店
山下町35番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑





Yokohama and Vicinity

ジャーマンクラブ 山下町

クラブ ゲルマニア
山下町173番地
ドイツ人を中心とする社交クラブとして、文久3年(1863)に横浜居留地161番地に設立された。明治2年(1869)には居留地173番地に新築移転、バーやビリヤードルーム、ボーリングルーム、図書室など設備も備えていた。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


ホテル・ド・パリ 山下町

明治時代の横浜の古写真、ホテル・ド・パリ
ホテル・ド・パリ
ホテル
山下町179番地
薩摩町通り、ホテル・ド・パリ前で列をなす日露戦争に出征する兵士たち
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

居留地 本町通り

居留地 本町通り
左54番、右74番付近より
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

居留地 本町通り

居留地 本町通り
右61番、左81番付近より
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

居留地 不明

居留地 不明
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

ドッドウェル商会 山下町

ドッドウェル商会 Dodwell & Co.
総合商社
山下町50番地
左から二人目が「古き横浜の壊滅」のO.A.プールか
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

ドッドウェルカーリル商會「明治初年に英國倫敦より出店せるアダムソンペール商會は明治廿四年に至りドッ卜ゥェルカーリル氏に全權を讓興せり、爾来ドットウェル商會と改め又ハチソン商會をも合併し、ジョー、サイム、タムソン君を日本代表者として、汽船航海業代理店の外、機械肥料織物等を輸人し、麥稈及び經木眞田等を輸出す、神戶居留地五番は支店にて東京銀座 1丁目は出張所たり、取組先は倫敦、晚香披、ビクトリヤ、桑港、紐育、タコマ、シャートル、コロンボ、セーロン、香港、上海、漢口、福州等とす、横濱支店の重なる邦人は、平部次郎、丸山松次郎、井上永次郎、吉田文等の諸君なり、」横浜成功名誉鑑


present-day impressions of Japan

ボイエス商会 山下町

ボイエス商会
ドイツ系 輸入織物・毛布商
山下町153番地
鉱業条例の改正により、外国人資本の鉱山経営が可能になると、明治34年に赤沢銅山の権利を取得し「赤沢鉱業合資会社」を設立、鉱山経営に乗り出したが赤字が続き、明治37年に地元実業家へ譲渡した
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

カールローデ商会 山下町

カールローデ商会
ドイツ系輸入商社
山下町70番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

「カアルロオデ商会はソマトーゼの看板と共に赤門七十番舘として知られ居る、創立は外國商舘中比較的古い方である、獨逸商舘で、輸入を専として居る、分類して見ると紙、染科、薬品、肥料等であるが、之が下馬評を聞くと紙は壁大に取扱ふて居るし、染料はハー、アーレンス継纉社やベッカ商會(四十番舘)等と拮抗し得る位に之も手廣くやつて居る、此染料を賣るにつけては商館より一々技師を派遣し、親く地方の染物工場等に就き實地試験を行はせ、勉めて安心を得る方法を執つて居る所から商館内には染料の試験室が設けられて可なりの設備であるそうだ、肥料は憐酸石灰、加里等の所謂貴重肥料を大に取扱ふて居る、織物に至ては羅紗、フランネル等の輸入を盛んに行ふて居る、本商會には曾て紙、織物部の主任番頭の不正事件があつて百除葛闘の損害を受け、今に至るまで此大打撃の傷が癒えないから、商舘も目下あまり振はないやうだ」実業之横浜

赤門七十番 カアル、ローデ商会「外國商館中古参の部に入れらるる、カールローデ商會獨逸商館にして紙染料薬品等を重なる營業品目となす、ソマトーゼの廣告は到る處に散見せられ世入之れを知らざるものなし、肥料は燐酸石灰加里等の貴重肥料を多く取扱ひ、織物には羅紗フランネルの輸入を専一とし、アーレンス績社ベッカ商會とともに染料輸入三商館として大に勢力あり、紙、鍵、染料は獨逸國フリードリッヒパイエル會社の代理店にて、其他一般の器械類をも輸入す、薬品部の田澤太右衛門君等は日本人主管中の有力者なりと云ふ、」横浜成功名誉鑑

東洋医薬新報

イリス商会 山下町

イリス商会
ドイツ系商社
山下町54番地
ドイツ出身のルイス・クニフラーとヘルマン・ギルデマイスターが1859年(安政5年)L.クニフラー商会を長崎で設立、1880年(明治13年)カール・イリスが経営権を継承しイリス商会と改称した。写真の建物はドイツ人ゲオルグ・デ・ラランデの設計で1907年(明治40年)竣工。有隣新書から「ギルデマイスターの手紙〜ドイツ商人と幕末の日本〜」が出版されている
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


ジャパンガゼット新聞社 山下町

ジャパンガゼット社
新聞業
山下町10番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


Japan directory

ホテル&レストラン・ド・コロニー 山下町

ホテル&レストラン・ド・コロニー 
HOTEL & RESTAURANT DES COLONIES
ホテル&レストラン
山下町52番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

田中豚肉商店 山下町

田中豚肉商店
豚肉屋
山下町147番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

田中清吉「創業をなすのみをもて強ち立志者と謂ふべからず父の業を拡張し時に之れを改革するも亦立志者となすべし爰に父の葉を継き先づこれが擴張に志し次で改革維持に苦心せし者あり即ち田中清吉君是れなり君は安政四年八月を以て神奈川縣中郡大磯町に生れ父を勘四郎氏と稱す家は農業の傍ら米穀養豚等を營む幼にして温厚篤實人に接するに恭敬を旨とし長者に奉するに謹厚を以てし未だ曾て禮を失せず是れを以て郷里常に君を推して子弟の模範となせしと云ふ爾来父を補け家業を努めて怠らざりしが明治二十一年十一月初めて横濱に出で南太田町に住居を定め養豚場を設け夫れと同時に山下町に豚肉商を開業しけるが元來君が忠實熱誠と勤勉力行との思想は忽ち四方の信用を買ひ商運隆々として日に繁榮に向ひつつありしが三十五年現今の處に移轉し拮据經營の効は空しからず今や養豚及び豚肉商として横濱市内有数の實業家たるに至りしとは誠に偶然にあらざるなり明治三十二年二月大磯銀行創立に際し其の創立委員として東奔西走朝に有志の門を叩き夕に同志と謀り劃策經營に盡瘁したるは能く人の知る所なりとす殊に君や社會公共の事業に對する頗る熱心にして是れ等の為に資金を投じ労力を費せること數ふるに遑あらざるのみならず博愛慈悲の観念に豊富にして孤児院育兒院等の為に浄財を喜捨し自ら奔走盡力せること是れ又一二にして足らざるなり眼を擧げて實業界を眺むれば皆營營として利の爲めに走り汲々として慾の爲めに来り紛々擾々飽くことを知らざる時に當りて君の如き義烈の人あるは群鶏中の白鶴と稱すべきか抑も亦萬緑叢中の紅一點とも謂つべきか實に人意を強ふするものなくんばあらざるなり」京浜実業家名鑑

英国領事館 山下町

 イギリス領事館
山下町172番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

present-day impressions of Japan

溝呂木美術商会 山下町

和英横浜案内
溝呂木商會
新古美術品及絵葉書販売
山下町12番地
(2200)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

「商會主は溝呂木謙三氏であって明治卅九年に山下町七十四番館に開店し其後廿二番館に移り一昨年十二月から現在の十二番館で営業を始めたので、新古美術品を販賣してゐたのであるが、昨年東京寳石株式会社から内国産寳石の横浜一手販賣を委託されたので盛んに發賣してゐる。同會社の鑛區は福島縣河沼郡寳坂村字寳川にあって二十萬坪の地積を所有してゐる。今を去る廿年以前に丸山長渡氏が採掘にに従事したが結果が悪いので中止したのを現今同社の支配人である松岡準吉氏が、四年以前に三ヶ月間の野宿探検をして発見したので既に得たる寳石はオパール、ノーブルオパール、ファイアオパール、トーパス、ゴールドトパス、スモークトパース、ホワイトサファイアニメラルド等であって、其外珍奇なる寳石も發見したさうである、一體オパールといふ寳石は何か凶事のある時は必然曇りを生ずるので不吉な寳石としてあったが、輓近独逸あたりではそれが却って實用的であると、持て囃される様になった、と云ふのは、大體オパールは硬度が低いので瓦斯、脂肪などの接觸の爲に心身の變動を前知する事が出来て、凶事を未然に防ぐ事が出来ると云ふのにある。で、装飾的實用品といふ譯で以前に引換へて非常に愛用されるさうだ。」実業之横浜