田中豚肉商店 山下町

田中豚肉商店
豚肉屋
山下町147番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

田中清吉「創業をなすのみをもて強ち立志者と謂ふべからず父の業を拡張し時に之れを改革するも亦立志者となすべし爰に父の葉を継き先づこれが擴張に志し次で改革維持に苦心せし者あり即ち田中清吉君是れなり君は安政四年八月を以て神奈川縣中郡大磯町に生れ父を勘四郎氏と稱す家は農業の傍ら米穀養豚等を營む幼にして温厚篤實人に接するに恭敬を旨とし長者に奉するに謹厚を以てし未だ曾て禮を失せず是れを以て郷里常に君を推して子弟の模範となせしと云ふ爾来父を補け家業を努めて怠らざりしが明治二十一年十一月初めて横濱に出で南太田町に住居を定め養豚場を設け夫れと同時に山下町に豚肉商を開業しけるが元來君が忠實熱誠と勤勉力行との思想は忽ち四方の信用を買ひ商運隆々として日に繁榮に向ひつつありしが三十五年現今の處に移轉し拮据經營の効は空しからず今や養豚及び豚肉商として横濱市内有数の實業家たるに至りしとは誠に偶然にあらざるなり明治三十二年二月大磯銀行創立に際し其の創立委員として東奔西走朝に有志の門を叩き夕に同志と謀り劃策經營に盡瘁したるは能く人の知る所なりとす殊に君や社會公共の事業に對する頗る熱心にして是れ等の為に資金を投じ労力を費せること數ふるに遑あらざるのみならず博愛慈悲の観念に豊富にして孤児院育兒院等の為に浄財を喜捨し自ら奔走盡力せること是れ又一二にして足らざるなり眼を擧げて實業界を眺むれば皆營營として利の爲めに走り汲々として慾の爲めに来り紛々擾々飽くことを知らざる時に當りて君の如き義烈の人あるは群鶏中の白鶴と稱すべきか抑も亦萬緑叢中の紅一點とも謂つべきか實に人意を強ふするものなくんばあらざるなり」京浜実業家名鑑

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