羽衣座 羽衣町

羽衣座
横浜の劇場
羽衣町2丁目51番地
明治3年(1870)に下田座と佐野松が合併し羽衣町へ移転し下田さの松と改称。明治15年(1882)に羽衣座と改称した。明治32、33、36年と焼失を重ね、明治37年(1904)に煉瓦造りで再建も大正4年(1915)に焼失し廃座した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書

羽衣座々主 石川豊吉「文久二年九月下田屋文吉といヘる人北仲通四丁目に芝居小屋を建設して下田座といひ、故人市川團十郎其頃河原崎權十郎坂東彥三郎なぞの乘込あり次で江戸京橋の佐野松が今の相生町邊に芝居を開き壽美藏なぞ定役者となりて勤めたり、明治三年九月此の二座を合併して羽衣町に移り、高島權三座主となりて羽衣座と改稱し、其後幾多の變遷と頹燒に遭遇して今に繼續し、石川豊吉君の經營に移れり、君は文久元年四月群馬縣群馬郡東明家村に生れ、明治十年横濱に來り種々の事業に從事せられ現時羽衣座主として其名を知らる、卅七八年戰役當時には奬兵會幹事の任に當り、後援事業に奔走し大に勤められたるはよく世人の記臆する所なり、」横浜成功名誉鑑

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