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滝沢鰹節商店 吉田町

瀧澤商店
鰹節及乾物商
吉田町1丁目2番地
(367)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

鰹節及乾物商 瀧澤豐次郎「横濱で鰹節の三大店は相生町の松屋常盤町の若松屋吉田町の瀧澤である、瀧澤の主人豊次郎君は嘉永五年信州北安曇郡の農家に生れ、十四歳父を失なひ、廿歲で横濱に來り、野毛の三浦屋なる鰹節店に入りて商業を實習すると三年、明治十年松尾屋常吉といふ人と合同して現住所に店を開いたが四ヶ年ばかりで合同を解き單獨の商店となった是が國を去りてから七年の後であったいふ、爾來孜々營々家業大事と勵んだから、商運は次第々に發達して終には横濱の三大店と算せられ、數多の老舗を壓倒するの勢となった、君の如きは實に成功者の中の巨擘といふべきであらふ、君は嘉永五年を以て生る、」横濱成功名誉鑑

瀧澤豊次郎「土佐節の堅質なる品種を供給して濱港の重望あり各小賈舗に卸し熱心と誠實なる取引をなし諸般の便宜を計り高めんとするに熱中せり」京浜名家総覧職業

小澤薬局 吉田町

小澤薬局
薬種・売薬
吉田町1丁目29番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


横浜貿易新報

松屋外套洋傘店 吉田町

松屋
外套・洋傘店
吉田町1丁目1番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

越前屋漆器店 吉田町

越前屋
漆器小売及び家具販売
吉田町1丁目1番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

佐々松之助「本邦固有の日用家具は漆器に属するもの多し、生産地は紀州若狭静岡及東北の諸縣盡くあらざるはなし、佐々松之助君は越前の人、幼より漆器に經驗あり、明治初年來りて此業に従事し、十一年に至り吉田町一丁目に店舗を開く、静岡及び會津物を以て主眼とし、膳椀箱類菓子器あらゆるものに新意匠を凝らして賣出せしに、聲價忽ち全市に播り益々 誠實と勤勉を以て業務に當りしかば、終に今日の盛況を贏ち得るに至れり、關外方面に於ける唯一の店舗として衆に認めらる、君は嘉永五年郷里福井縣今立郡に生る、」横浜成功名誉鑑

越中屋漆器店 吉田町

越中屋金子商店
漆器販売
吉田町1丁目7番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


神奈川縣案内誌

上総屋漬物店 吉田町

上総屋
漬物店
吉田町2丁目36番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

新井塩物乾物店 吉田町

 新井塩物乾物店
塩物乾物
吉田町2丁目40番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

油屋砂糖店 吉田町

油屋小林砂糖店
砂糖引取商
吉田町2丁目53番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

油屋砂糖店 小林彌三郎「吉田町通りに油屋といふ砂糖店があって非常に繁昌である、店主小林彌三郎君は江戸浅草猿屋町に生れ、慶應三年二月横浜に移住し、初め野毛町に住して後今の所に移られた、此方面で最古の砂糖商だから界涯で誰れ知らぬものがない、明治廿七八年頃には選ばれて區會議員となり、同卅三年横浜商業會議所議員としてよく其職責を全ふされた、次で日露の戰役には吉田柳尙兵會幹事として活動されたは中々目醒しかった商賣は頗る敏活で地方及び市内に卸小賣をなし、日に增し盛況に赴きつゝあるは慶すべきことである、」横濱成功名誉鑑

持田金物商店 吉田町

持田商店(トモエヤ商店)
巴風呂、金物、釜類、電気器具販売
吉田町1丁目28番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

杉本靴店 吉田町

杉本靴店
靴製造
吉田町2丁目61番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

藤森洋品店 吉田町

藤森洋品店
帽子小売
吉田町2丁目34番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

第一有隣堂 吉田町

第一有隣堂
和洋書籍小売
吉田町1丁目5番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

第一有隣堂 大野貞造「金港に於ける書肆を以て名高き老舗にして欧米の舶来品を初め和漢書等新刊書籍に至るまで堅牢美麗なるを特色とせり」京浜名家総覧職業


神奈川県案内誌

武蔵屋呉服店 吉田町


武蔵屋呉服店
呉服店
吉田町1丁目30番地
吉田町の3大呉服店の一つで明治2年(1869)に創業、店主は津田啓次郎。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

吉田町の武藏屋吳服店 津田啓次郎「吉田町の三大呉服店の中央に位して、壯麗なる店舗と廣大なる陳列塲とを完備したるものを武藏屋呉服店とす、店主津田啓次郎君は溫厚老實の人、曾て商業會議所議員、區會議員、所得稅調査委員等に歴任して令名あり、現に呉服太物商組合頭取として同業者の爲めに盡瘁せらる明治二十八年日清役後大元帥纛下の凱旋せらるゝを奉送迎し、橫濱驛に於て龍車に咫尺し、市代表者の一員として市民の名刺を奉呈したるは君が終生の榮譽とする所なり、君は元と東京澁谷廣尾の産、弘化二年の出生に父仁兵衛氏は德川家の祐筆を勤め、君は其三男なり、幼より狷介の質に富み、十六歳にして志を立てて商人たらんとし、呉服業を見習ひ、主として各藩邸に行商せしが、維新の政變に際し橫濱に來り、明治二年始めて店を吉田町に開き、店員と共に親しく内外の商務に勉勵し、類焼の災に遭ふこと二回に及びしも、不屈不撓の勇を鼓して、益々勵精怠らず、遂に今日の盛況を見るに至り、昨四十一年新に商品陳列部を開設し、本年更に之を擴張して店舗全部を總陳列式とし、改良の魁を爲せし等着實勉强の老舗として高く其名を内外に知らる、」横濱成功名誉鑑


神奈川縣案内

大野屋足袋店 吉田町

大野屋
足袋商
吉田町1丁目4番地
開港と同時に横浜に進出し、明治2年(1869)吉田町に移転した
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

大野屋足袋店 池上金八「大野屋足袋を以て有名なるを池上金八君とす、君の先代は江戸芝白金䑓町の人、開港後横濱に移住し、入船町と云へる所に足袋股引等の裁縫販賣業を營めり、爾来市勢の變遷と共に各所に輾じ、明治二年終に現在の位置に定住することとなれり、大野屋號は江戸時代より足袋職の老舗として著名なるものなりし、君が先代當地に開店するに當りて、顧客常に店頭に麕集し商況日に繁盛に赴けり、現代金八君は明治二十四年家督を相續し益業務を擴張し職工を増加し、大野屋足袋の名聲を失墜せざらんをのみ腐心せる結果、終に市内屈指の老舗として日に益々繁盛を加へつつあり、君は實に文久元年の生、本年四十九歳」横浜成功名誉鑑

鈴木煙草店 吉田町

鈴木店
煙草卸小売売薬新小間物印紙売捌
吉田町1丁目28番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

浜田屋呉服店 吉田町

濱田屋
呉服太物商
吉田町2丁目60番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

濱田屋吳服店 高橋定吉「吉田町の通りで濱田屋といへば古き呉服店である店主高橋定吉君が越後能生町より出でて橫濱に來りしは實に明治六年の昔であった、爾來忍耐と勤勉と質素とを以て本色とし着ヶ步武を進めて漸く今日の地位を得られたは尋常の人ではない、明治卅二三年の交所得稅調査委員及區會議員に推され市民の信賴に背かず卅七八年戰役の際には吉田柳尙兵會第二期副會長として後援事業に盡力され、四十二年には橫濱商業會議所議員に選ばれ、叉同志と共同して橫濱信托株式會社を發企して監査役となられた、君は呉服太物商同業組合役員として創立以來より樞機に参し計畵する所頗る多く、呉服商中着實穩健の君子人として推重せられて居る、」横濱成功名誉鑑

山本綿糸物店 吉田町

山本屋
綿並糸物商
吉田町1丁目29番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

遠州屋履物店 吉田町


遠州屋商店
下駄傘商
吉田町2丁目55番地
横浜手彩色写真絵葉書図鑑

履物類卸小売商(遠州屋號)小泉定吉「遠州屋小泉定吉君は、横浜履物商中の古株且つ屈指の巨店で、常に新形流行品の發明に腐心し、卸小賈とも盛大に營んで居る、價格は非常に勉強で應待も親切であるから、店頭に顧客の絶えたことがない、此店の開業は文久年間で、當市に於ける殆んど 元祖といっても良いのである、先代は山口卯之助氏と云つて縣下金澤の人で、温厚誠実善人の異名があった位、現主人小泉君も同地の生れ、先代の甥に當たり、九歳以來當家に仕へ、中々器用な質で、先代の眼鏡で跡目を相續された、果して種々新形を工夫し、商賣振も達者だから、東京は勿論京阪地方の同業間にも君の姓を知らぬものはない、現今に市内履物商組合長に推されて 重望がある、君は明治三年の生れで本年 恰も四十歳、将来とても尚益々隆盛に 赴くべきは自然店頭に活氣の溢れつゝある様子で解かる、」横浜成功名誉鑑


神奈川縣案内誌

勉強堂三田時計店 吉田町

勉強堂三田商店
時計並貴金属眼鏡美術商
吉田町1丁目7番地
(853)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

三田時計店 吉田町1丁目7番地 主人三田彦作「商號を勉強堂と云ふ歐米各國より輸入せらるる金銀銅鐡白銅等の懐中時計は勿論貴婦人用自轉車旅行用として新式新形の時計を輸入し附属品は需めに應じて随意顧客の嗜好に應ず、同店販賣品として好評ある金銀美術細工物は意匠嶄新にして高尚優美なるが故に手に觸るる者は之を購なふの念を生ぜざるはなし價格の割合が甚だ低廉なるに依るも之を低廉ならしむるは全く名の如く勉強するが爲なり、同店美術品中最も顧客の多きものは金銀杯にして如何なる注文も直ちに引受けて迅速調達するは熟練なる職工十數名のあるが爲めなり、其の保険品の如き偶々修繕の要ありて之を命ずれば店員出張時に無代にて之を修す營業熱心の點に至っては河北伊勢梅の及ぶ所にあらず」現在の横浜


神奈川縣案内

横浜姓名録

明治堂山田時計店 吉田町

明治堂山田時計店
時計並貴金属眼鏡美術商
吉田町1丁目5番地
(1145)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

山田時計店 吉田町1丁目5番地 主人山田常之助「商號を明治堂と云ふ、絶へず歐米に於ける最新流行形時計及附屬品數十種を輸入し正價を附して厘毫の掛引を爲さず是れ本店の得所にして其の物品に附する保険に至っては正確切實、世間普通の形式的保険にあらず契約期内の修繕は叮嚀親切を旨として更に料金を求めざるのみか苟も顧客の意に副はざるものあれば幾回と雖も修繕の勞を厭はず、賣品の確かなる斯の如くにして而も價格は他店よりも低く、薄利に甘んじて信用を重んずるが故に一度足を向くる者は遂に其の顧客たらしめらるるに至る主人山田氏は平民主義の人曾て町内居住者懇和會の貴族的階級的なるを見て務めて之を平民的ならしめんとし、熱心他人に説くに階級撤去を以てし住地の人をして一様懇和會に臨席せしむるに至たりとぞ」現在の横濱

時計並美術貴金屬品商 山田常之助「吉田町通りに明治堂時計店として知られたる山田常之助君は、東京市深川區東森下町の出慶應元年四月生れなり、父勘次郎氏は文久元年頃當地に來り、袋物露店業を營み居たるが、市の進化と共に漸く繁昌し、明治の初年時計店を兼業したるに、他に同業者少なき事とて愈々顧客を得て發展の資を作り、同九年始めて店舗を設けたるが、一層盛大に赴くにぞ、君は市の前途を察し、從來東京にて營み居たる袋物店を閉ぢ、來つて父と共に斯業に從事し大いに活躍を試みたり、是明治廿三年にて同店が第二の發展に就きたるの時にして、一面君の力與って大いなるものありしは勿論にて、萬事機敏を旨とし實直と勉强とに依って贏ち得たる代償と見ても敢て不可なし、今や市内有數の大時計店として、層一層信用を加ふるに至りぬ、」横濱成功名誉鑑


横浜姓名録