明治堂山田時計店 吉田町

明治堂山田時計店
時計並貴金属眼鏡美術商
吉田町1丁目5番地(1145)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

山田時計店 吉田町1丁目5番地 主人山田常之助「商號を明治堂と云ふ、絶へず歐米に於ける最新流行形時計及附屬品數十種を輸入し正價を附して厘毫の掛引を爲さず是れ本店の得所にして其の物品に附する保険に至っては正確切實、世間普通の形式的保険にあらず契約期内の修繕は叮嚀親切を旨として更に料金を求めざるのみか苟も顧客の意に副はざるものあれば幾回と雖も修繕の勞を厭はず、賣品の確かなる斯の如くにして而も價格は他店よりも低く、薄利に甘んじて信用を重んずるが故に一度足を向くる者は遂に其の顧客たらしめらるるに至る主人山田氏は平民主義の人曾て町内居住者懇和會の貴族的階級的なるを見て務めて之を平民的ならしめんとし、熱心他人に説くに階級撤去を以てし住地の人をして一様懇和會に臨席せしむるに至たりとぞ」現在の横濱

時計並美術貴金屬品商 山田常之助「吉田町通りに明治堂時計店として知られたる山田常之助君は、東京市深川區東森下町の出慶應元年四月生れなり、父勘次郎氏は文久元年頃當地に來り、袋物露店業を營み居たるが、市の進化と共に漸く繁昌し、明治の初年時計店を兼業したるに、他に同業者少なき事とて愈々顧客を得て發展の資を作り、同九年始めて店舗を設けたるが、一層盛大に赴くにぞ、君は市の前途を察し、從來東京にて營み居たる袋物店を閉ぢ、來つて父と共に斯業に從事し大いに活躍を試みたり、是明治廿三年にて同店が第二の發展に就きたるの時にして、一面君の力與って大いなるものありしは勿論にて、萬事機敏を旨とし實直と勉强とに依って贏ち得たる代償と見ても敢て不可なし、今や市内有數の大時計店として、層一層信用を加ふるに至りぬ、」横濱成功名誉鑑


横浜姓名録

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