千登世楼 千歳
割烹店
住吉町6丁目79番地(42)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「澤田こう 横濱開港已來の大料理店にして會席料理専門を以て聞ゆ家屋広大優に數百人の宴會に適し割烹の美亦他を凌駕するに足るべし」京浜名家総覧職業
「横浜の通人呼んで六丁目と云ふ之れ住吉町六丁目に在るが故なり横浜料理店の覇王と称せらる。」現代之横浜
千登世割烹店 澤田コウ「横浜一流の割烹店はと問ヘは先づ第一に指を千登世に屈せねばならぬ女將は武州鴻の巢の生れて明治四年今の姿見町は其頃の遊廓地で、紀の國屋といふ料亭に女中に棲み込んだのが始めで、今日まで殆んど四十年、磨きに琢た經歷はいふまでもない如才なき想接振の悠々迫らさる體度は確かに斯界の白眉である、明治十四年水無月の廿四日といふ吉辰を卜して、千登世壽く蘆田鶴は其一聲を横浜の水涯に響かせた、幾春秋を十返へりの花に競へて、彌榮へに榮へ行く千歳の綠長しへに、女將の齡も六十路あまり四とせを加へて、目出度くも健やかなるは何に譬ふるものもなからう、」横浜成功名誉鑑
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