小野蚕糸貿易商店 弁天通

奉祝記念誌
小野商店
蠶絲輸出・売込商
弁天通1丁目20番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

生絲貿易の重鎭 小野光景「開港當時より今日に至るまで終始一貫生絲貿易に從事し、傍ら公共事業に斡旋して一方の重鎮たる小野光景君は信濃の人なり、父兵助氏安政六年横濱に來り各町名主となり、幕府征長に際して軍資を献じ苗字帯刀を許さる、明治初年市長を命ぜられ、五年疾を得て郷里に歸へり、卅三年七月物故せらる、光景君は弘化二年郷里に生れ、明治初年より教育の普及に腐心し、就中商業教育には最熱中せし處にして、百難を排して終に今日に至り、全國の模範として唱道さるる商業學校を見るに至りしは實に偉大なる功績の一なりとす、貿易商總理として永く牛耳を執り、個人としては埠頭の改築、船渠の設立、商品陳列所、貿易倉庫、商業會議所等盡く君の首唱に係り、八王子鐵道の計畫創立に奔走し、四十年來壓迫を蒙りし外商の専横を制して吾生絲貿易の商権を恢復したるが如き、近くは横濱築港工事の将に断絶せんとするに當り、政府議會の間に折衝して續行を保持したるが如きは顯著なる公共思想の發現に外ならず、明治初年以來學區取締、戶長、第一大區會議長、神奈川縣會常置委員、横濱市會議員、同名譽職參事會員、 横濱正金銀行頭取、横濱商業會議所會頭等に就職し、實業界中第一流の人物として推重さるる處なり、資性寬厚謠曲を好み、書畫骨董を愛して、珍臓中天下の逸品少なからずといふ、」横浜成功名誉鑑

小野商店 蠶絲貿易商中屈指の大商店たり現主の小野光景氏は其名我國商業界の洽ねく現に貴族院議員にして又蠶絲貿易商同業組合の組長たり以て同氏并に同店の信用とを窺ふに足べし。」現代之横浜

小野光景「横浜商業會議所會頭の職にあり兼て生糸貿易の巨人たり蓋し濱港をして今日あらしめたる同氏の力其多きによるならん氏夫れ自重あれ」京浜名家総覧職業

present-day impressions of Japan

シルク

實業之横濱

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