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松坂屋食料品店  伊勢佐木町

松坂屋食料品店
和洋缶詰専門店
伊勢佐木町2丁目24番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

松坂屋食料品店 岡田清太郎「伊勢佐木町通りに最も目立つ最も美しき罐詰商店がある、是れぞ松坂屋とて斯業界に古き老舗である、先代長次郎氏は舊幕臣なりしが瓦解後は横浜に來り、堺町尾張屋商店に入りて商業を實習した名家の兒兩刀を帶せし人、前垂がけに立働く様如何にいぢらしく人や見たるらん、されど氏は平然として知らざるものの如く、 熱心商賣振の呼吸を呑込むに勉め、當時寂寥たる現所の前途に着眼し主家を辭して乾物食料品の店舗を開きしは明治十八年の頃であった、爾来着々として順况に赴き、現主清太郎君の代に至りては一層の盛大を極め、玆に於て漸次西洋食料品をも取扱ふに至り、近年に至っては専ら和洋罐詰専門となり、別に横浜電燈株式會社代理店を托せられ、數名の人を使役して集金等に當らしめ、今日にては何人も一たび停立願望する如き店舗となるに至った、」横浜成功名誉鑑


乾物屋時代の先代長次郎と松坂屋

伊勢佐木町通

伊勢佐木町通
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

「横浜を見物するものは是非とも伊勢佐木町の賑ひを探らねばならぬ、東京の浅草公園、大坂の道頓堀と並び稱減られて我邦繁盛地として有名なることは少しく世間に明るきものの知らぬことはない、此通りは伊勢佐木町、松ヶ枝町、賑町通りの一体を總稱するものにて、先づ軒並は劇場、寄席、大弓場、魚釣場、射的場、玉突場などの遊戯場、日本西洋は申すもさらなり、支那料理の料理飲食店、其外書肆、小間物、寫眞師、雑貨店、日用品、贅澤品等を商ふ店があって、一度び此町に足を入れれば一つとして不自由を感ずることなく、殊に夜間は群衆往来して雑踏を極むるので知らず識らず夜の更くるのも覺へぬのである。」横浜案内

旅順陥落の祝い 伊勢佐木町通

Celebration fall of port Arthur, Isezakicho Yokohama
旅順陥落の祝い
伊勢佐木町通
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

新富亭 松ヶ枝町

新富亭
横浜の寄席(色物)
松ヶ枝町32番地
竹内竹蔵が明治17年(1884)に開場した寄席。明治32年(1899)の関外大火で焼失した後、三階建てに建て替えられ次男の竹次郎が経営した。定員は680人
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落語定席新富亭 竹内竹次郎「三遊、柳兩派の定席として連夜喝采を博し居る新富亭は明治十七年の創立である、明治元年の頃馬車道通に佐野松といふ芝居ありて三年に至り下田座と合併し、羽衣町へ移て下田座佐野松と稱せり、是が現在羽衣座の前身である、其外港座、金花亭、吉村亭、松本亭、長谷川亭、富竹亭など一時に起りて、落語講釋の外に時々芝居興行も遣ったものである、此富竹亭を始めたは長野縣富田村から出た 竹内竹蔵氏で、則ち今の漸富亭創立者と同樣である、三十二歲の頃來濱し乾物商を營み、明治元年太田町四丁目に丸竹亭を起し、明治十七年現所に新富亭を建てた、七十四歲の高齢で去る卅二年歿せしが、開港當時より幾多の變遷を經て、只新富、富竹兩亭が今に繼續して古き歴史を語り貌に依然たるは、寄席だけに由緒ありげに聞こゆる、眞砂町の義太夫席富竹亭も氏の長子の經營せる所で、氏が一家は殆んど寄席の元祖ならん、竹次郎君は氏の二男で明治元年の生れだ、三十二年の大火に一旦灰燼に歸したが、苦心更に新築して定員六百八十人を容るゝに足る設備とし、 色物を主として市内定席の魁首である、」横浜成功名誉鑑

東洋館 松ヶ枝町

東洋館
勧工場
松ヶ枝町26番地
横浜館の姉妹館。明治32年11月三階建てのビヤホールを開店した。
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