喜楽座
横浜の劇場
賑町1丁目3番地
明治28年(1895)両国座が開場、明治32年(1899)に関外大火により焼失したが、明治32年(1899)12月31日に再建開場、喜楽座と改称した
明治の横浜手彩色写真絵葉書
新進の二劇場主 轟由次郎「明治十三年七月觀世物興行地は伊勢佐木町と指定さるゝと同時に、千歲、賑、勇座等建設せられ、其他蔦、岩井、伊勢村、山中佐野松、相生等相前後して各所に現はれしが、明治卅二年の大火は端なくも伊勢佐木町全部を一掃し盡くし、橫浜に現存せるものは五劇場となれり、而して賑町の喜樂座足曳町の横浜座最も全盛を極め 每次觀客充滿の現況を呈せり、二座ともに轟由次郎君の經營する所に係る、君の本業は雜貨食料品の賣込にして傍ら劇場を董督し熱心事に當れり、君三枝彌左衞門氏等外八氏の發企なる警衞會々長に推され、町内相互の安全親和を旨とし、諸般の弊害を廓淸するに與つて力あり、其團結益々鞏固に發展しつゝあるは又喜ぶべきの一事なりとす、」横浜成功名誉鑑
現代之横濱 |
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