長者町大火

長者町火事
明治43年(1910)12月15日
明治の横浜写真絵葉書

火事の羽衣座

火事の羽衣座
羽衣座は明治32、33、36年と焼失を重ねた。明治36年11月19日の火事か
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勉強堂三田時計店 吉田町


勉強堂三田商店
時計並貴金属眼鏡美術商
吉田町1丁目7番地 山下町185番地
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神奈川縣案内

横浜姓名録

明治堂時計店 吉田町


明治堂時計店
時計並貴金属眼鏡美術商
吉田町1丁目5番地
時計並美術貴金屬品商 山田常之助「吉田町通りに明治堂時計店として知られたる山田常之助君は、東京市深川區東森下町の出慶應元年四月生れなり、父勘次郎氏は文久元年頃當地に來り、袋物露店業を營み居たるが、市の進化と共に漸く繁昌し、明治の初年時計店を兼業したるに、他に同業者少なき事とて愈々顧客を得て發展の資を作り、同九年始めて店舗を設けたるが、一層盛大に赴くにぞ、君は市の前途を察し、從來東京にて營み居たる袋物店を閉ぢ、來つて父と共に斯業に從事し大いに活躍を試みたり、是明治廿三年にて同店が第二の發展に就きたるの時にして、一面君の力與って大いなるものありしは勿論にて、萬事機敏を旨とし實直と勉强とに依って贏ち得たる代償と見ても敢て不可なし、今や市内有數の大時計店として、層一層信用を加ふるに至りぬ、」横濱成功名誉鑑
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横浜姓名録

大仏鞄靴商会 山下町


大佛商会
靴・鞄製造業
山下町16番地
大佛商會靴及鞄製造販売業 小西熊吉「明治七八年の交、市内元町に住し偉大なる體驅悠然として外商館に出入せる造靴工あり、名姓を知らず人呼んで大佛と綽名す、是れ今日大佛商會ある素因なり、商會主小西熊吉君は明治四年十二月大磯臺町に生る、三歲の時父に伴はれて橫浜に來れり、常時父の職業は洋人の古靴を買ひ集め更らに之を分解して靴を造くるにあり、明治初年のこととて造靴業者は一に淸國人に限り、其數五十餘名もありしが、决して邦人に傳習するを欲せず、君の父は百方苦辛し、裁斷されたる革片を摸型とし、或は縫合せし個所を分離せしめ、能く製造の一部を自得せり、明治八年に至り元町に些やかなる店舗を出せり、謂ふ勿れ古靴修理の一賤工と、忍耐と克己終に彼を玉成せずんば措かず、練習に練習を增し、工夫に工夫を重ね、終には堅牢なるは大佛の靴に限れりとまで賞賛さるゝに至る、熊吉君幼より乃父の業務を見習ひ、熱心裁斷に注意せしより、夙に一名工として喧傳せらる、明治廿五年現在の住所に移轉し、盛に職工を督勵し、先代の受けし名聲を失墜せざらんことをのみ腐心しつつあり、君眞仰心に篤く、本化信敎會幹事として努むる所尠なからず、」横濱成功名誉鑑
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横浜姓名録

真川美術品雜貨輸出商店 尾上町


真川商店
美術品雑貨輸出業
尾上町5丁目74番地
謄写版やスタンダード石油の機械油を販売
美術品雜貨輸出業 眞川三郎「紐育スタンダード石油會社の機械油特約販賣をなす眞川商店は、叉美術雜貨輸出業を營み、兼で謄寫版印刷器の發賣をなす店主眞川三郎君は三重縣の人、明治十一年より製茶石油等の商業に經驗を積み、技能機略の圓熟するを待ちて獨立一商店を經營せしは明治廿二年の頃なり、目下米國加奈陀其他歐洲大陸に向て本邦特産の陶磁器金屬彫刻品等を主とし、あらゆる美術雜貨の直輸出をなし、併せて專賣特許の謄寫版を特約販賣し、且スタンダード會社の機械油を販賣して商勢益々振ひつゝあり、君質性溫厚にして恭謙、自家手腕より贏ち得たる大成功に慢する色なく、益々出でて益々讓なるは、古歌の所謂、みのるほど稻はふすなり人はた重くなるほどそりかへりくるの真意を眞個に諒解せられしものなりと信ず、」横濱成功名誉鑑
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横浜姓名録

高橋絵葉書商店 元町


高橋商店
絵葉書販売
元町1丁目2番地
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横浜姓名録

日盛楼西洋料理店 太田町


日盛楼
西洋料理店
太田町5丁目85番地
西洋料理店日盛樓 米山フク子「今は走卒輿䑓と雖もる洋食を云爲し、口にして通を衒ヘど、開港當初は葡萄酒を啜れば即ち血を想ひ、肉を啖へば蠻臭度し難しと爲して即ち指弾の的となりき、此の時につて洋食店を開業し、人気をめんとす容易の業にあらず、日盛樓は元白鳥氏の經營に係り、明治元年の開店なり、初め露店よ仕出し其の能く人気を得しはに甘香美味を提供せし白鳥氏の力にして、君が當年の西洋料理家たると市有敷の西洋建築とを持して英佛の粋を蓋し、料理の技倆を発揮せしに據る、現代米山女史は相州久里濱の人、年四十八歳、廿一年渡米し、二十ヶ年料理業を營み、其の間研究を重ねて歸朝し、四十年同樓を譲受けたるもの、目下東京に支店を有し、同棲内には玉突場を設けて來客の嗜好に應じ、元祖たる暖簾に對して一層勉強しつゝあり、」横浜成功名誉鑑
三平伊之助「洋風の大厦優に多人数の宴會に適し料理も佳絶他の模倣すべからざる伎あり要するに此樓は管内繁華の中心に居を占め同業界の泰斗なりとす」京浜名家総覧職業
「西洋料理店として開業古く料理又美味にして其名を博せり。」現代之横浜

神奈川縣案内

神奈川縣案内誌

松阪屋旅館 元浜町

松阪屋旅館
旅人宿
元浜町3丁目24番地
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松坂屋喜平 旅館

清水歯療院 賑町


清水歯療院
歯科
賑町1丁目4番地
院主 小早川文七
「新治療法無痛抜歯」
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横浜商況新報

信州屋金物店 常盤町

信州屋
銅鉄金物商
常盤町4丁目55番地 馬車道通
隣は66番地にあった森田家具店。 撮影の後、どちらかが移転したのだろう
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横浜商況新報

小川写真館 弁天通



小川写真館
写真館
弁天通3丁目44番地
日下部金兵衛の娘婿、小川佐七の写真館
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murray

横浜商況新報

伊勢屋鎌方洋品店 住吉町


伊勢屋鎌方
小間物店
住吉町5丁目64番地 馬車道通
鎌方洋品店 鎌方孝三郎君「未だ一流に伍せずと雖も决して二流の店に非らず、店舗大ならずと雖も顧客常に蝟集して廉價と勉强とは人後に落ちず、流行の粹を集め貨物の潤澤を以て好評を博せる鎌方洋品店主孝三郎君は、温雅篤厚の人、曾て東洋館勸業場の社長たり、今や横須賀方面にまで商業範圍を擴張して聲望隆々とは、『金港百佳選』に於て太田町の笹布金三郎氏の讀めりし處、蓋し嘉永年間の話しに、異人が帽子を被ぶって來たのを江戸の人が見て、唐人が釜のけつを被ぶって來たと笑ひけるとなん云へるに基づきしなるべし、又溫古の價なきにもあらず、」横濱成功名誉鑑
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横浜商況新報

自動車 神564

 自動車 神564
ジェーゼンフヰン(山下町38番地)
株式会社菅川商会(山下町210番地)
カーチング(山手町32番地)

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西之橋

西の橋
明治26年(1893)架替
設計:野口嘉茂 プラット・トラス式
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自動車 神153

 自動車 神153
浅野造船所
エーアールカトー(山下町83番地)
稲垣栄造(野毛町1丁目5番地)

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自動車 神183 神231 神308

 自動車 神183
ドクトルバラウヰナニー(山手町64番地)

 自動車 神231
大村屋ガレージ(山下町106番地)

自動車 神308
三井物産株式会社横浜支店(山下町177番地)

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自動車 神258

自動車 神258
横浜市街自動車株式会社(裏高島町1丁目1番地)

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