細野薬店 戸部町

細野薬舗
薬店
戸部町1丁目20番地
細野藥店 細野藤右衛門「君は先代より藥舖を營む、他家より入りて家名を襲ひ藥劑師となる、艸樂會幹事にして重に藥種賣藥の小賣を専門として、戸部方面にて其名弘し、」横濱成功名誉鑑

大久保硝子商店 住吉町

大久保商店
硝子商
住吉町4丁目57番地
硝子商 大久保正司「歐米物質の輸入日に多を加へ、洋風建築盛んに起るに當り、硝子の需要は急速の増進を來せり、着眼早く是れに及び巧に業を成せしは大久保硝子店主正司君(五十一歲)なり、君は新潟縣の人にして早くより東京に出で、 明治八年より硝子取扱に從事せり、後横濱に移り高島町四丁目に開店せしは明治十六年中の事なり、漸次手廣くなるにつれ野毛に移り、廿一年類燒の厄に遇ひしにより太田町に轉じたり、二十三年來現所に移りて規模を擴張し、刻苦勵精大に信用を博し、卅四年中戶部町に支店を設置し、今や橫濱有數の硝子商となる、其特色とする所は板硝子切篏請負にあり、諸官衙會社等の建築ある毎に必ず其の供給を托せられ、遠く各地方に及ぶと云ふ、多年の信用と確實は社会の認むる所となりて此の大成功を収められたるものなり、」横浜成功名誉鑑

西村写真館 福富町

西村写真館
写真館
福富町2丁目
相生町1丁目

実業之横浜

伊勢山大神宮の鳥居 明治の横浜手彩色写真絵葉書

伊勢山大神宮 もうひとつの鳥居
大鳥居から招魂社へ向かう脇の階段を上がったところにあった鳥居と思われる
明治の横浜手彩色写真絵葉書

野毛山? 明治の横浜手彩色写真絵葉書

野毛山?
調査中
野毛山にしては海岸に近くないか? 横浜だとしたら神奈川あたりか?
明治の横浜手彩色写真絵葉書

野毛山不動尊? 明治の横浜手彩色写真絵葉書

野毛山不動尊?
調査中
今までキャプションを疑わずに野毛山不動尊だと思っていたが、どうも建物が違うようだ

正面

階段を上がって正面右

階段上がって正面左

【向島の三囲神社】と判明しました

明治の横浜手彩色写真絵葉書

松下回漕店 北仲通 明治の横浜絵葉書

松下回漕店
回漕
北仲通2丁目27番地 
「北仲通二丁目二十七番地に開口拾間の店舗を構へ店員百有余人を使用せる松下回漕店は、安政六年横浜開港と同時に開業し、爾来横浜港の発達と共に、日進月歩今日の隆運を来たし、全国各港各地苟も舟車の往来する處松下回漕店の名を知らさるものなく、既に海外にまでも宣伝して取引区域は斬次拡張して現に税関貨物取扱人、日本郵船会社荷扱、三井物産会社、オットラウメルス商会、横浜肥料会社の一手荷扱及び内外綿花会社一手荷扱所たるにも拘らず、現店主松下鎨一氏は猶以て足れりとせず鋭意改良拡張の歩武を進めつゝあり実業之横浜

「松下回漕店の組織変更 松下回漕店は二月一日を以て大日本共同運輸株式会社へ合同し従来取扱ひ来りたる外航事務一切を挙げて之れに引続く事となりしが同店内航部及帆船部は依然残存して松下回漕店の名義を以て一層の精力を注ぎて営業すと云ふ合同と同時に従来執務し在りたる店員は共同運輸会社転勤することとなりたるか多年会社の恩顧を受け殊に店主松下 鎨一氏は多年店員に対し恩威并び行はれたること深厚なりしを以て店員は店主に訣るることを惜しみせめてもの紀念として各自醵金として金子及頌德表を贈呈したりと聞く店主も亦離別店員一同に対し金数万円を頒輿したりといふ是れ本誌が前号に紹介したる松下回漕掉尾の一美学なり但し外航事務は共同運輸に引継きたるも二月中だけは北仲通の主店にて執務するとなり」実業之横浜 

「松下回漕店汽船部の新設 横浜市北仲通松下回漕店に於ては今回大阪河口に汽船部を新設し第一、第二、第三、第四、第五、第八宇和島丸及び泰盛丸の六隻を購入し内地沿岸航路に充て乗客及び貨物の運搬並に臨時貸船の需に応ずる由にて本月中旬より開業すべしと聞く、横浜市の人にして関西方面に起業するは是迄甚だ少かりしに松下氏が新に此方面に雄飛せんとするは頗る快事といふべし」実業之横浜 
明治の横浜絵葉書

松旭斎天勝 明治の手彩色写真絵葉書

松旭斎天勝
明治19年生まれの女性奇術師で明治後期から大正にかけて一世を風靡した
明治の手彩色写真絵葉書

松旭斎天勝の幟
伊勢佐木町通り、賑町の朝日座

キリンビール馬車 本町 明治の横浜手彩色写真絵葉書

キリンビール馬車
1日2回得意先を巡回していた
手前の建物は町会所、本町通りを挟んで右が福島商店、左がキリンビール代理店の明治屋
明治の横浜手彩色写真絵葉書

満利屋玩具店 松ヶ枝町 明治の横浜手彩色写真絵葉書


満利屋
玩具販売
松ヶ枝町5番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
満利屋翫具店 松村榮七「満利屋玩具店は本店を吉田町一丁目に支店を松ヶ枝町の有し、中々盛大の店舗である、主人榮七君は相州志多見村より出て幕府に仕へ、征長役に参加した古武士で、有名な剣客だといふ、道理で今に毎朝七時から八時迄の間に竹刀の音の勇ましく聞ゆ流は懐かしき限りである、満利屋といふ稱號は明治四年頃に何か商賣にありつかんと考へたが、武士の商法思はしきともない毬をかがって賣出した、是が始めで翫具屋となつて今日の繁昌を來たしたのだといふ、君は非常の日蓮凝りで、宗祖大聖人の経典を家に藏し、朝夕自己の行ひを省み自ら性行を修め、頗る慈悲心に富みて、其の救恤に與りしもの甚だ多い、他人に對する巳に然り、家族に向っても至て圓滿で、全戸十有餘人和氣靄然たるは隣保相傳へて羨む處であるといふ、」横浜成功名誉鑑
明治の横浜手彩色写真絵葉書

大場屋履物店 扇町 明治の横浜手彩色写真絵葉書


 大場屋
履物小売
扇町2丁目41番地
大場松之助「小商估より蹶起して産を興す素より尋常の勞にあらず、下駄卸小賈商大場屋は、明治六年長者町二丁目に開業せし些々たる店舗たりしが、材の精撰と價の確實とは玆に功成りて、越えて九年現所に轉じ、益々反映するに至りぬ、店主大場松之助君は明治元年東京府下小松川村に生れ、郷里にありて下駄商を營みしが、同五年出濱し六年長者町二丁目に一小店を開き、九年現所に移輾以来漸次繁榮に赴き、今や店舗の新築を爲し、附近に貸長家を建て、扇町方面の有力者として其の名を謳はる實に僅々數年の面目に屬す、」横浜成功名誉鑑
明治の横浜手彩色写真絵葉書


神奈川縣案内誌

明治楼 真金町 明治の横浜手彩色写真絵葉書

明治楼
横浜遊廓
真金町2丁目
市川ケイの経営。同じ真金町にあった市川楼と関係があるか調査中
明治の横浜手彩色写真絵葉書

西川楽器店 住吉町 明治の横浜手彩色写真絵葉書

西川楽器店
楽器販売
住吉町5丁目58番地 馬車道通
「西川の西洋楽器と云へば其名全国に知られ横浜の一名物たり工場は日の出町二丁目に在り専らオルガン、ピヤノを製造す事業の拡張と共に販売店を設けたるは近年に在り営業歳と共に振へり。」現代之横浜
明治の横浜手彩色写真絵葉書

現代之横濱

本牧海岸のキャプション 明治の横浜手彩色写真絵葉書

本牧海岸のキャプション

本牧海岸の珍しい写真、
崖の形から、場所は十二天側から本牧岬、三之谷方向を見た海岸
と推測しましたがどうでしょう

他の写真が無く確認できませんでしたので
崖の反対側、根岸側から見てみましょう
崖の先端が垂直に切り立っています
角度によってなだらかに見えるのか
とも思いますが
同じ崖であるとは断定できませんでした



この風景は●●●●から●●●●を見た景色でした
明治の横浜手彩色写真絵葉書

エンプレスオブチャイナ 明治の横浜手彩色写真絵葉書

カナディアンパシフィックライン エンプレスオブチャイナ
船舶
三姉妹インディア・ジャパン・チャイナの末妹。明治44年7月27日、濃霧が原因で房総半島の先端の江の島岩礁で座礁した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書