金丸銃砲店 本町

明治時代創業の金丸銃砲店の古絵葉書、古写真
金丸銃砲店
銃砲
本町2丁目21番地
(155)
明治22年(1889)7月、金丸謙次郎が創立した銃砲店、欧米から護身銃や猟銃を直輸入する他、自社で製造した単身猟銃も販売していた。また、郵便販売法を導入して全国へ販路を広げ、月刊機関誌『銃猟界』を刊行するなど、先進的な販売戦略を展開していた。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

金丸謙次郎「金丸銃砲店の名全國に普着物は其廣告に依るよりも其種類の豊裕工作の巧緻販賣方の便利なるにアラン本舗は全國銃砲店の覇たるものたり」京浜名家総覧職業

日本第一の銃砲商 金丸銃砲店「明治廿二年七月故金九議次郎氏によりて創立せらる、我國に於ける銃砲火薬輸入及製造販賣の老舗にして、文明の制度を利用し、郵便販資法を開始して需要者の便利を圖りしかば、如何なる山間避地も金丸銃砲店の名を知らざるものなし、明治三十九年一月組織を變更して合資會社とし、西村喜作君を代表証員とし西村潤藏君を営業主任と定む、外國製品は歐米五十餘個の大會社と特約を結び、護身銃及猟銃を輸入し、自店工場部製造に係る新式單身猟銃は精巧完美にして堅牢を主とし夙に好猟家の信用を博し其需用益々多きを加ふ、銃砲類並に附嘱品一切に關する精細なる設明書及び機關雑誌として月刊銃猟界を刊行す、愛猟家の必読すべきものなり、」横浜成功名誉鑑

「鉄砲火薬販売業者として横浜唯一の商店たると共に其名又銃猟界に洽ねく販路全国に及べり今は組織を合資会社となし営業益々伸揮し信用ある一商店たり。」


金丸銃砲店は明治22年(1889)、金丸謙次郎が創立した、欧米から護身銃や猟銃を直輸入する他、自社で製造した単身猟銃も販売していた。また、郵便販売法を導入して全国へ販路を広げ、月刊機関誌『銃猟界』を刊行するなど、先進的な販売戦略を展開していた



神奈川縣案内

神奈川縣案内誌

川和の菊 虎渓園

川和の菊の名所、中山良材の虎渓園の手彩色絵葉書
川和の菊 虎渓園
川和
中山良材の虎渓園、中山恒三郎の松林圃とともに川和の菊の名所として知られていた
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代官坂

代官坂、元町1・2丁目から山手へ通じる坂、かつて箕輪坂(三ノ輪坂)と呼ばれていたが、坂の途中にある横浜村名主石川徳右衛門の邸宅が代官屋敷の通称で親しまれたことから、次第に代官坂が定着していった
代官坂
元町1・2丁目から山手へ通じる坂は、かつて箕輪坂(三ノ輪坂)と呼ばれていたが、坂の途中にある横浜村名主石川徳右衛門の邸宅が代官屋敷の通称で親しまれたことから、次第に代官坂が定着する
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祇園舟神事 富岡

武州富岡海祭漁舟競争
富岡
富岡八幡宮の祇園舟神事か
青茅で編んだ茅舟を沖合まで運んで流したのち、二艘の船が全速力で速さを競い合う八百年以上の伝統を誇る夏の神事で横浜市指定無形民俗文化財第一号に指定されている
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本牧花屋敷 本牧町

本牧花屋敷
本牧町
本牧花屋敷は活動写真館、ミニ動物園、菊花壇を設置した娯楽施設で大正元年(1912)10月に開園、大正3年に海水浴場を開設した
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神奈川縣案内誌

解析 高島町神風楼

高島町神風楼の写真
左側が入口だが、NECTARINEの看板はまだ架かっていない
さて、この建物は神風楼内のどこにあるのか
三階建の建物とは別の建物か、道を挟んだ向かいか、増築前なのか
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安藤勇五郎 西戸部町

安藤勇五郎
金魚商
西戸部町71番地
明治44年10月17日、横浜愛魚会における第六回横浜金魚会が西戸部町蓮池金魚屋方に於て開催された
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酒井屋洋傘店 常盤町


酒井屋
洋傘雑貨
常盤町4丁目69番地
(933)
明治4年に福富町で創業し、明治20年に常盤町の馬車道通りへ移転した業界の老舗。相生町の田邊民吉をはじめ多くの人材を輩出したほか、中国やインド等への海外輸出を展開した。
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酒井あさ「洋傘店の老舗なり意匠を凝らしたる新形の品種續々入荷し市内に聲價を博し一般需求者には便利と確實を標榜しつゝあり」京浜名家総覧職業

「物故された榮八氏は元来甲州の甲斐絹商人であったのであるが、當地へ取引をしてゐる中に洋傘の将来に望みを屬し、商業のかたわら洋傘製造の研究に著手し、大に得る處があったので、明治四年に福富町一丁目の其頃在ったおつや稻荷の前へ開店したのであったが、一般の需要もさして無く随って商業も微々たるものであった。併し氏は不撓不屈の誠心を以て製造販賣の 擴張を計った。處が巖丈で實用向きであるから世人の意に叶ひ、非常な賣行を見るやうになったので規模狭少な處から、明治廿年に現今の常盤町四丁目の馬車道通へ移輾したのである。其當時市内に洋傘を製造販賣してゐた店は太田町の伊勢勘、長者町の楠見と當店の三軒であったので、後進ながら伊勢勘と竝び 稱されてゐたので、十五年以前から未だ世人の著手せざる洋傘の輸出を計り支那印度方面へ販賣し大に効果を収め爾來益々盛大になったのである。洋傘及洋杖は當店獨特な製造法によるので、居留外人の顧客も尠なからず又本町の椎野商店で取った外人の注文も受けてゐる。相生町の田辺、姿見町の神保、野毛町の酒井屋、白木屋の下職等は皆當店から出た者で、依って以て如何に其の製造法の巧妙にして有爲なる人を置いてあるかが解るのである。賣品は正札附を實行し無代で破損の個所は修繕するのであって、一昨年甲府に於て開催された一府九縣聯合共進會に出品して賞状を受領し、先年當市永住町で開かれた關東實業大會に出品して好評を博した。」実業之横浜

三井物産横浜支店 山下町

三井物産横浜支店
総合商社
山下町177番
明治44年(1911)に竣工した旧三井物産横浜支店は、鉄筋コンクリートで構築した日本初の本格的なオフィスビルで、日本の都市建築が近代化へ向かう決定的な足駆けとなった、設計を手掛けたのは遠藤於菟
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「三井家の経営する所にして直輸出入貿易を為すの目的を以て設立せるものなり資本金貳千萬円積立金千貳百萬円あり自ら船舶を所有して貨物の運搬を行ひ全世界至る所支店又は代理店あらざるなく従って取引の盛んにして信用の厚き我国海外貿易業者中同社の右に出づるものなし横浜支店は直輸入の外主として生絲、羽二重其他絹物の直輸出を為し就中生絲の如き外国商館の遠く及ばざる所にして斯界に於ける大手筋として相場を左右するの勢力を有せり支店長北村七郎氏は在任長く実業界に重んぜらる。」

三井物産株式會社 橫濱支店 本町4丁目69番地「當會社の起因は遠く明治九年の頃にあり、當時我國の貿易は實に外國人の掌中に屬し本邦人の容喙を許さず、三井家は深く之を憤慨し、其一族三井武之助三井養之助二氏を社主として三井物産會社の名目の下に海外貿易を企畵せられたり、當時益田孝氏社長に木村正幹氏副社長に任ぜられしが、廿五年四月社主養之助氏益田氏に代り、廿六年商法の一部實施と共に合名會社の組織として三井物産合名會社と改稱す、翌廿七年十月同族中より三井元之助氏を業務擔當社員とし、越へて三十一年十一月に至り再び改革して三井十一家主人を盡く無限責任社員として依然元之助氏社長たりしが、卅四年三井八郎次郎氏新に代表社員長となれり、四十二年組織を變更して株式會社とし同氏社長に推さる、橫濱支店は創設同時より置かれ、生絲輸出を主とし輸出入品一切を手廣く取扱へり、現支店長は北村七郎君にして良支配人の稱あり、」横濱成功名誉鑑


シルク

神奈川縣案内誌

河野美術商店 本町

河野美術商店
七宝器販売
本町2丁目37番地
(1807)
河野美術商店(河野七寶器店)の店主、河野由太郎は粗製濫造により信頼を失い、輸出が途絶えかけた七宝焼の現状を憂い、横浜における七宝焼の鼻祖・後藤省三郎と協力し、原料供給や意匠の考案、販路拡大に奔走した。彼の指導下、無線七宝や写実的な風景・花鳥などの精密な製品を生み出し、再び振興させるに至った
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七寳器中興の功勞者 河野由太郎「陶磁器漆器と共に海外に輸出して東洋美術の聲價を揚げたる七賓燒は、端なくも明治十四五年の交一大打擊を蒙りたり、他なし日本工藝品の通患なる粗製濫造に基因せり、是時に於ける東京、尾州、京都等の産地に於ける凶荒は筆紙に盡し難きものなりき河野由太郎君は東京々橋の人傳藏氏の長男なり、父祖世襲の銅器商を繼承して營業し來りしが、我重要なる輸出品の販路杜絶せんとするを見て奮然之れが恢復の任に當らんと決心し、橫浜に來りて故後藤省三郎氏と謀りて、或は原料を供給し或は意匠を考案し、百方救濟の術を講ぜしかば、明治十八年に至り後藤氏は獨得の製品を發明し、新に購買者を挽回せんとする機會に接せり、君は此に於て曩きに原料を供給せし一人なる某氏の店舗を讓り受け、製造家より精選せる品を集めて全力販路の擴張に奔走せしかば、明治十九年に至り再び商務を振興し來りたるより、更らに現在の店舗に移轉し益々事業の發展を謀れり、製造家も一意專心製品に注意したるにより、未だ甞て見るを得ざる無線物風景花鳥の精緻殆んど描寫と髣髴する品等續々出で來りて從前にも倍する盛况を來すに至れり、されば販賣者及製造家は悲酸なる境遇を脱却したるを紀念せんが爲め、各自醵集して紀念碑を尾張海東郡七寳村字東島に建て、君も亦功勞者の最なるものとして其姓名を列せらるゝに至れり、君恬淡の性曾て虚名を國內に求むるを欲せず、單に商品を海外に擴めて君國の利福を進むるを以て天職とす、商海稀に見るの篤志者と謂ふべきなり、」横濱成功名誉鑑

神奈川縣案内誌

Yokohama and Vicinity

柳屋平林果実園 野毛町

柳屋平林
果物問屋
野毛町1丁目8番地
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神奈川縣案内誌

武相貯蓄銀行川和支店

武相貯蓄銀行川和支店
銀行
都田村川和964番地
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有田屋庄村陶器商店 相生町

有田屋 庄村藤吉
陶器商
相生町1丁目16番地
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コンノート殿下来日 横浜停車場

英国コンノート殿下来日
明治39年(1906)2月19日、イギリスのコンノート公アーサー王子(コノート殿下)が明治天皇に「ガーター勲章」を奉呈するために来日した、横浜停車場前
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英国東洋艦隊来航 横浜港

英国東洋艦隊の来航
横浜港
1905年10月11日、第2回日英同盟協約を記念してノエル提督に率いられた英国東洋艦隊12隻が横浜に到着した。巡洋艦アラクリティ号は後日遅れて神戸から入港した。
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