反町遊廓 青木町

反町遊廓
青木町反町
神奈川七軒町遊廓は明治33年に遊廓地指定が廃止され、永楽町・真金町、反町に移転した
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

川本陶器店 本町


川本陶器店 川本健吾
陶器商
本町1丁目18番地
(3620)
明治20年8月創業
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近江屋足袋店 太田町

近江屋
足袋店
太田町2丁目40番地
(2211)
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小田川磯吉「太田町通りに近江屋といふ足袋屋がある、先代友吉氏は東京府荏原郡糀谷村生れで横濱の新開地へ踏出して旗揚せんものと、殊勝な志を立てて出濱されたは明治の元年であった、日に月に他國人の入り込む一方の土地にて、其頃類ひ少なき店であるから意外に繁昌して、数多の職人を抱くても問に合はぬ有様となった、そこで明治五年に現住所に開業したのが則ちそれである、十五年の頃に天壽を終られたが、現主人磯吉君は全然移住策を取り益商買に勉強されたから上等品は同家でなくてはならぬとの評判で、今では市内に数多の支店を置き、同業者中一頭地を抜く盛況を来たすに至つた、君は明治二年の生れて本年は四十一歳である、」横浜成功名誉鑑

桂屋引取売込商 住吉町

桂屋 渡辺清助
引取売込商
住吉町1丁目4番地
渡辺清助とは桂屋喜八の息子である渡辺利八のことか、その関係者か
渡辺利八 薬種貿易商 住吉町1丁目4番地
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ボイエス商会 山下町

ボイエス商会
ドイツ系 輸入織物・毛布商
山下町153番地
鉱業条例の改正により、外国人資本の鉱山経営が可能になると、明治34年に赤沢銅山の権利を取得し「赤沢鉱業合資会社」を設立、鉱山経営に乗り出したが赤字が続き、明治37年に地元実業家へ譲渡した
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盆栽を鑑賞する外国人


横浜近郊の庭

横浜近郊の庭
盆栽を鑑賞する外国人
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ヒマラヤ杉 山手公園

ヒマラヤ杉
山手公園
明治12年(1878)頃、イギリス人ヘンリ-・ブルックが、山手を英国風にとヒマラヤ杉の種子を輸入し山手一帯に植えたのが始まり
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横浜植木株式会社 中村町

横浜植木株式会社
植物輸出
中村町21番地
明治23年(1890)鈴木卯兵衛を中心に植木屋が集まり横浜植木商会を設立。日本の花弁植物や百合根を輸出していた。磯子、蒲田に菖蒲園を開設した
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「植物の直輸出を目的とせるものとして本邦植物輸出の開祖たり今日百合根の輸出百萬円に及ぶもの実に同会社が之を各国に紹介したるに依るものなり同社は資本金五拾万円にして積立金拾参萬七千円配当は一割二分の好歩合を有せり以て同社事業の一般を卜するに足るべし。」「横浜植木株式会社は中村町にあり、四季の花木を栽培して専ら海外に輸出し、又園内の遊覧を許せり、又屏風ヶ浦字磯子に支園あり、年々花菖蒲を培養し、磯子の花菖蒲とて世に持囃さる。」横浜名所図会

「横浜植木会社の発展 横浜植木会社は先頃の総会に於て資本金を五十万円に増加することを可決したるが同時にロンドン支店設置の件をも可決したり」実業之横浜

本邦産植物輸出 橫濱植木株式會社「初め外國人の創立せしものなりしが鈴木卯兵衛氏等讓り受けて、久しく植木商會と稱せしが後株式組織に變更せしなり、資本金五十萬圓、支店は北米紐育パークレイ町及英國倫敦キングス街にあり、本邦所産の植物其他の商品を海外に輸出し、園藝に關する諸物件の輸入を以て營業目的となす、明治廿四年五月の創業に係れり、取締役社長は鈴木卯兵衛君取締役は飯田秋三郎、須田定治郎、德田佐一郎、鈴木濱吉等の諸君にして、植木商會以來花園の結構雄麗壯大四季の眺めに富み、橫濱名所の一として、内外人の遊覽絕ヘず、近來蒲田に菖蒲園を設けて觀覽に供す、百合根の輸出は殆んど壇塲の好况を占む、明治卅八年本社事務所の新築成り更に一層の美觀を添ふ、」横濱成功名誉鑑





murray

花売り

花売り
山下町136番地の渡辺牛乳店前
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北方町全景

北方町全景
左の丘は山手、遠方に見えるのは和田山
現在は右手から中央奥に向かう本牧通りがあって、その先、和田山の先に山手警察署があるイメージか「本牧・北方・根岸」が参考になる
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本牧全景

本牧全景
田んぼの先は三溪園、右奥の谷間にある建物は三溪園の御谷館
和田山、本牧山頂公園からの眺めか
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三溪園造成前

横浜市街全景

横浜市街全景
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安西徳兵衛生糸貿易商 本町

安西徳兵衛商店
蠶絲貿易商
弁天通1丁目16番地
本町2丁目34番地
(65)
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安西徳兵衛「全国に生糸の取引を有し船便毎に外邦へ輸送する實に莫大なりとす其集積の貨物多きを以ても知るべきのみ」京浜名家総覧職業

生絲界の耆老 安西德兵衛「我國會社として蠶絲直輸の嚆矢たる二本松製絲工塲は實に安西徳兵衛君が小野組及其鄉友と共に創設せられしものなり、君は福島縣二本松の人、幼にして朴直重厚頗る群童と異に、郷黨の重ずる所となる、明治三年橫濱に來り小野組に入る、明治六年以來專ら製絲會社の爲に盡瘁し、或は直輸出を企畫し、或は賣込に從事せしが、明治十八年不幸にして會社解散の悲運に會し、同年七月自から店を辨天通一丁目に開き、廿九年十二月現在の本町二丁目に移轉し、商運次第に發展し販路大に增進し、本港生絲商中屆指の巨店に數へら るるに至れり、明治四十一年店規を合資組織に改め、宏壯なる三層樓を新築し、令息直藏氏をして業務擔當社員たらしめ、十八年來勤續せる今泉卯吉氏を代表社員とし、君は單に一社員の資格を以て本牧十二天の別墅に閑日月を樂しめり、君が開港以來一意生絲輸出に盡くせし功勞は世人の普く知悉せる所、今更喋々の言辭を弄するを俟たず、 又公共方面には曾て蠶絲及羽二重の同業組合役員を始め、市會議員及商業會議所議員として永く實業界の重鎮たり、現に又橫濱火災運送保險會社其他の重役として勢望あり、而かも今や古稀を過ぐる已に一齡、 後を有爲新進の俊才に譲りて橫濱隨一の勝地に餘命を托せらる、功遂げ名揚がりし高蹈勇退の耆宿、古人の面影髣髴たるを覺ふ、」横浜成功名誉鑑

横濱取引所商報

カールローデ商会 山下町

カールローデ商会
ドイツ系輸入商社
山下町70番地
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「カアルロオデ商会はソマトーゼの看板と共に赤門七十番舘として知られ居る、創立は外國商舘中比較的古い方である、獨逸商舘で、輸入を専として居る、分類して見ると紙、染科、薬品、肥料等であるが、之が下馬評を聞くと紙は壁大に取扱ふて居るし、染料はハー、アーレンス継纉社やベッカ商會(四十番舘)等と拮抗し得る位に之も手廣くやつて居る、此染料を賣るにつけては商館より一々技師を派遣し、親く地方の染物工場等に就き實地試験を行はせ、勉めて安心を得る方法を執つて居る所から商館内には染料の試験室が設けられて可なりの設備であるそうだ、肥料は憐酸石灰、加里等の所謂貴重肥料を大に取扱ふて居る、織物に至ては羅紗、フランネル等の輸入を盛んに行ふて居る、本商會には曾て紙、織物部の主任番頭の不正事件があつて百除葛闘の損害を受け、今に至るまで此大打撃の傷が癒えないから、商舘も目下あまり振はないやうだ」実業之横浜

赤門七十番 カアル、ローデ商会「外國商館中古参の部に入れらるる、カールローデ商會獨逸商館にして紙染料薬品等を重なる營業品目となす、ソマトーゼの廣告は到る處に散見せられ世入之れを知らざるものなし、肥料は燐酸石灰加里等の貴重肥料を多く取扱ひ、織物には羅紗フランネルの輸入を専一とし、アーレンス績社ベッカ商會とともに染料輸入三商館として大に勢力あり、紙、鍵、染料は獨逸國フリードリッヒパイエル會社の代理店にて、其他一般の器械類をも輸入す、薬品部の田澤太右衛門君等は日本人主管中の有力者なりと云ふ、」横浜成功名誉鑑

東洋医薬新報

高潮台風水害 保土ヶ谷

大正6年(1917)10月1日の東海道、保土ヶ谷
高潮台風による水害で多くの死者をだした
ナンバー763の自動車は南吉田町に本社を置いていた大成組自動車の貸自動車か
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有泉綿布製茶商店 住吉町

有泉商店
綿布輸出製茶小売商
住吉町1丁目13番地
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綿布輸出製茶小売商 有泉又藏「有泉君の先代は甲州市川の人、始め辨天通に米綿砂糖引取商を營みしが、明治九年現所に移り紀岡園と號し製茶小賣を營めり、當時横須賀軍港の開始以前にして、軍艦の集散は横濱を中心とせり、之れを見て茶を賣込みしに意外の収益あり、それより驥足を延して天津方面に番茶を輸出し、次で海産乾物の輸出を試みたり、廿五六年の交南淸印度方面へ綿布を輸出し商勢頗る衆目を惹けり、廿七年親戚吉沼又右衛氏と計りて柱時計を香港上海に送りて好評を博せしが、隅々競争者名古屋及東京より出て、就中名古屋物の神戸より輸出せるは侮り難き勁敵なりし、止むを得ず之を中止して専ら本業を擴大し、現今は綿布の外寢衣用の加工品及茶を輸出し次第に順境に趣けり、現代又藏君は父君歿後卅五歳を以て襲名繼續せられ、又別に住吉町郵便局長として交通事業に参加し居らる、君は綿布輸出商として目下有數の地步を占む、」
横浜成功名誉鑑

解析 外国人女性の写真

外国人女性の写真
裏面に1915、横浜のサインがある
居住者なのか旅行者なのか不明だが、
その背景に映る建物は洋風で、丸窓と階段上の窓が印象的、
商館というよりも住宅のようである

そうなると、場所は山手町となるのだが何処か
この丸窓
見覚えありますか
さあどこでしょう
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山手桜道の桜

山手桜道の桜
横浜桜の名所
明治初期に地蔵坂上から北方に通じる道に桜が植えられ名所となった。
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三溪園の桜

三溪園の桜
横浜桜の名所
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