洋傘雑貨
常盤町4丁目69番地
(933)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
酒井あさ「洋傘店の老舗なり意匠を凝らしたる新形の品種續々入荷し市内に聲價を博し一般需求者には便利と確實を標榜しつゝあり」京浜名家総覧職業
「物故された榮八氏は元来甲州の甲斐絹商人であったのであるが、當地へ取引をしてゐる中に洋傘の将来に望みを屬し、商業のかたわら洋傘製造の研究に著手し、大に得る處があったので、明治四年に福富町一丁目の其頃在ったおつや稻荷の前へ開店したのであったが、一般の需要もさして無く随って商業も微々たるものであった。併し氏は不撓不屈の誠心を以て製造販賣の 擴張を計った。處が巖丈で實用向きであるから世人の意に叶ひ、非常な賣行を見るやうになったので規模狭少な處から、明治廿年に現今の常盤町四丁目の馬車道通へ移輾したのである。其當時市内に洋傘を製造販賣してゐた店は太田町の伊勢勘、長者町の楠見と當店の三軒であったので、後進ながら伊勢勘と竝び 稱されてゐたので、十五年以前から未だ世人の著手せざる洋傘の輸出を計り支那印度方面へ販賣し大に効果を収め爾來益々盛大になったのである。洋傘及洋杖は當店獨特な製造法によるので、居留外人の顧客も尠なからず又本町の椎野商店で取った外人の注文も受けてゐる。相生町の田辺姿見町の神保、野毛町の酒井屋白木屋の下職等は皆當店から出た者で、依って以て如何に其の製造法の巧妙にして有爲なる人を置いてあるかが解るのである。賣品は正札附を實行し無代で破損の個所は修繕するのであって、一昨年甲府に於て開催された一府九縣聯合共進會に出品して賞状を受領し、先年當市永住町で開かれた關東實業大會に出品して好評を博した。」実業之横浜








































.jpeg)







