横浜植木株式会社
植物輸出
中村町21番地
明治23年(1890)鈴木卯兵衛を中心に植木屋が集まり横浜植木商会を設立。日本の花弁植物や百合根を輸出していた。磯子、蒲田に菖蒲園を開設した
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「植物の直輸出を目的とせるものとして本邦植物輸出の開祖たり今日百合根の輸出百萬円に及ぶもの実に同会社が之を各国に紹介したるに依るものなり同社は資本金五拾万円にして積立金拾参萬七千円配当は一割二分の好歩合を有せり以て同社事業の一般を卜するに足るべし。」「横浜植木株式会社は中村町にあり、四季の花木を栽培して専ら海外に輸出し、又園内の遊覧を許せり、又屏風ヶ浦字磯子に支園あり、年々花菖蒲を培養し、磯子の花菖蒲とて世に持囃さる。」横浜名所図会
「横浜植木会社の発展 横浜植木会社は先頃の総会に於て資本金を五十万円に増加することを可決したるが同時にロンドン支店設置の件をも可決したり」実業之横浜
本邦産植物輸出 橫濱植木株式會社「初め外國人の創立せしものなりしが鈴木卯兵衛氏等讓り受けて、久しく植木商會と稱せしが後株式組織に變更せしなり、資本金五十萬圓、支店は北米紐育パークレイ町及英國倫敦キングス街にあり、本邦所産の植物其他の商品を海外に輸出し、園藝に關する諸物件の輸入を以て營業目的となす、明治廿四年五月の創業に係れり、取締役社長は鈴木卯兵衛君取締役は飯田秋三郎、須田定治郎、德田佐一郎、鈴木濱吉等の諸君にして、植木商會以來花園の結構雄麗壯大四季の眺めに富み、橫濱名所の一として、内外人の遊覽絕ヘず、近來蒲田に菖蒲園を設けて觀覽に供す、百合根の輸出は殆んど壇塲の好况を占む、明治卅八年本社事務所の新築成り更に一層の美觀を添ふ、」横濱成功名誉鑑
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