西川オルガンピアノ製造所 日の出町

神奈川縣案内誌
西川オルガンピアノ製造所
西洋楽器製造
日ノ出町2丁目29、30番地(841)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

西川虎吉「其音律の正確に於て其値段の低廉に於て優に舶来品を凌駕する者は本舗の風琴なりとす学校教會堂の注文常に絶へざると云ふ」京浜名家総覧職業

洋琴風琴製造元祖 西川虎吉「西洋樂器の高價にして洽く需め得ざるを憤慨し、獨人力エルノ及び英人クレーン二氏に就き、研究數年、終に良結果を奏したる西川虎吉君は、千葉縣の人にして《嘉永三年生》幼より三味線の職工となり、年壯なる頃已に天下の名匠を以て評せらる、君の洋琴に志を傾けしは遠く明治九年の頃にして、漸く十三年に至り工塲を設置し製造を創めたり、此閒の苦辛慘澹實に言語に絶す、親戚知己は皆その策の誤てるを愁訴するも頑として應ぜず、萬難を排して終によく堅牢なろ樂器を製造し、音律正調構造雅美優に舶來品を凌駕し、却て海外に向て輸出するの盛況を呈せるは、唯り君一己の名譽に留まらざる也、蓋し本邦に於ける洋樂器製造の鼻祖とす、されば内外博覽會に於て數回の賞牌を受け、宮廷御用は勿論、東京音樂學校、陸海軍々樂隊の如きも君の製品を採用せり、先年愛息安造君を米國に渡航せしめ、實修數年悉く淇薀奧を極め、大に製品の改良を圖れり、四十二年馬車道通りに販賣店を設けて更に業務を擴張す、又自家製品の外獨逸製ヴァイオリン及附屬品等をも直輸入して顧客の需めに應ず、現今日本第一の樂器製造所として内外人の賞讃措かざる所なり、」横濱成功名誉鑑

西川虎吉 日ノ出町2丁目28番地「我國風琴製造界の覇者として元祖として盛名ある西川虎吉君は實に嘉永二年七月を以て千葉縣君津郡周南村に生る伊藤德右衛門氏の三男なり家は代々農を以て業とす拾五歳出でて奉公せり其頃より既に楽器に對する嗜好は涵養せられたり甘一歳にして三味線製造に従事し地を横濱に撰ぶ時に明治九年なり翌年英國人クレン氏に就き將來洋楽の我國に流行せんことを想ひ風琴製造業を創めたりが微々として振はず多くは修繕に止まり十五年三味線の業を廃し専ら斯業に従事せしが氣運の洋楽に傾かんとするを見内は顧客の需用を満たし外は泰西輸入品を制肘せんとす雖然其の技幼稚にして殆んど観るに足らざりしが黽勉倦懈あるなく多年苦心惨憺粉骨韲身食品の製作に従事し西川風琴と稱し構造の堅牢優美なると音律の整確なるとの特長を以て江湖の喝采を得二十三年内國勸業博覧會に優等賞牌を得次て第十四回博覧會に進歩優等賞牌を受領し遂に宮内省陸軍省東京音樂學校及び交部省直轄各校の御用を勤め益々其眞價の發露を來し販路擴張發展し普く内國に行はれ更に墺國東洋諸邦へ輸出するに至る然も君が職に熱心誠實なるは採長補短一層斯業に貢献する所あらんとして賢息を米國に遣はされ親しく該技の蘊奥を探究せしめ令息其の意を體して勉勵怠りなかりしかぼエステーピアノ風琴會社より成蹟優等の證明狀を得て歸途諸方を巡視し嶄新精妙の資料を齎らして歸朝せり以来鋭意工場諸般の設備を一新し規模壮大頓に奮觀を改め随って欧米人の間にも令聞噴々たるに至れり斯くして二十年来の素志を貫かれしと雖も改善発達の心は須叟も停まず精進勇猛需要華客の愛顧に酬ゆる所あらんと孜々汲々として業務に精勵しつつありと云ふ」京浜実業家名鑑


現代之横濱

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