文寿堂文具店 常盤町

文寿堂
手帳・帳簿専門店
常盤町4丁目55番地 馬車道通
広告手帳製造の開祖。明治42年の手帳の注文は15万冊に上った。住吉町に活版印刷工場、久方町に石版工場、本店隣には製本部を持ち、200人余りの職工と30数人の店員を抱えていた。幅広い営業活動をし、手帳と帳簿は関西でも知られていた。
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「文房具、印刷、製本を業とす就中同店の手帳に至りては其名全國に聞え各所の共進会又は博覧会に出品して受賞すること尠なからず昨秋勧業共進会の際出品して閑院宮妃殿下御買上げの栄を荷へり」現代之横浜

文壽堂文具問屋 佐藤繁太郎「馬車道通りの要樞に位置を占め、間口は狹いが何處となく活氣に滿ちて、家根看板の雄麗なる物品裝飾の整々たる上に、機敏らしき當世風の少壯店員と愛嬌に富んだ美人店員が、忙しそうに立働て居るのは文壽堂の店頭で、よく主人公の性格を發揮して居る、主人佐藤君は未だ壯年の好男子であるが、抜け目なく二六時中自用車で得意廻りをされて居る、店前には美麗なる自轉車が店員の急用遲しと備へられて居る、住吉町の活版工塲、自店脇の製本部、久方町の石版工塲、何れも目覺ましき招牌を揭げて廣告旁々商勢の盛大を吹聽し顏である、聞けば全部で二百餘名の職工と三十餘名の店員と六名の女店員とが必死に働いて未だ間に合はぬ位であるとの事だ、一言に云へば華美で如才なく機敏なのが同店の本領で、營業種目としては一般の文具類は勿論であるが、特に手帳及び帳簿は全國に涉りて顧客を有し、橫濱東京は云ふ迄もなく、阪神及び關西方面に一大營業範圍を有し、該地方にて手帳を用うる會社銀行は殆んど同店の品に依らぬはない位で、輕便にして實用的の廣告手帳は、進物用として銀行會社の注文極めて多く、帳簿及手帳製造店として海内獨步の位置を占めて居るとの事である、」横濱成功名誉鑑

現代之横濱

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