アーレンス商会 山下町

神奈川縣案内
アーレンス商会
ドイツ系総合商社
山下町29番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

輪入業保険及汽船代理店 ハー、アーレンス繼續社「當社は明治二年東京築地に開業せるアーレンス社の後身なり、明治八年同社は横濱に移りしが、十八年社主アーレンス氏歿後、ハーケー、ウイスマー、モスレー三君等の合資組織と爲し之を繼續せり、後、ハーケー、ウイスマー二君退社し、ハームセン、テンメの二氏横濱支店にボバート氏神戸支店に、モスレー君はブレメン支店にあり、獨逸流の堅忍不披秩序整然たる商陣を布いて東西の貿易界に雄飛しつつあり、輸人業に於て主脳となれるは染料にして、獨逸國馬獅子染料會社の代理店を為せり機械部は各國製造會社の代理店又は特約店として各種の諸機械及附屬品一切を取扱ふ、日本人館員中には染料主任室原興重君老練の聞えあり、本年六月機械部擴張の結果として東京築地の本店內に移したり、其他藥品部皮革部等にも英才多し、又獨逸ロイド汽船會社の代理業を營むこと古く、是又大に勢力あり、」横浜成功名誉鑑

室原興重 青木町373番地「君容貌魁偉眼光爛々勇斷果決の風ありて而かも襟懷洒耽恰も淸風明月の如く玲瓏たる心事一點の汚塵を止めざる底の資質亦欽ずべきものあり君は萬延元年福島縣元相馬中村藩に生る幼少にして東京芝區露月町鴻内塾に入り初めて英語を學び明治七年石川縣英語學校に入り十一年に至り更に東京に轉じ故尺振八氏の門に遊び修養すること三年學業大に進み後横濱毎日新聞記者となりて筆硯に従事し才氣煥發紙上に靈動す尋で横濱税關に奉職し幾何ならずしてスーアーレス社に入り神戸支店に勤務すること三年更に渡英して倫敦本店に在勤すること三年廿一年横濱支店に入りて染形部を擔任し計畫する處甚だ多し抑も斯業は明治八年の創始 にかゝると雖も初めは微々として振はず而して其商務の発展を來せしは廿一年君が朝以来の事とす蓋し輸入業者の間に競争絶えざるに加へ他に同業の二館ありて資本勢力相匹敵し且つ該事業たるや化學的試験を經ざる可らざるを以て随って精巧熟練の技術を要するものなり此の困難の間にありて君は獨得の技術を備へ資格を具し能く他の競争を排して斯界に一異彩を放つに至れるなり其他亦地方の競争者を壓伏し商權日に擴張せるを以て君は益々重用せらるといふ然れども吾人が君に取る所のものは單に商館員としてのみならず其の品性人格に於て大に推賞するものなり开は從來地方の華客に對して商館員の隙賄を迫り是に由って分に過ぎたる奢侈をなすの悪弊あるを慨し断然贈賄を峻拒してその悪弊を救済したるに在り之が爲めに彼等の悪感を買ひ君にして敬遠主義を執り時に孤立の身となりしも屈する所なく遂に館内の汚風を一洗し清廉高潔の美風を起すに至れりと云ふ豈に感ずべきの至りならずや」京浜実業家名鑑

1 件のコメント:

  1. はじめまして
    goo blog で「骨董古物のワールド」をやっております。このたびアーレンス社に関連する葉書をUPいたしましたので貴blogを参考にさせていただきました。ありがとうございます。

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