横浜生糸株式会社 本町

横浜生糸株式会社
生糸、綿花
本町4丁目58番地
明治44年(1909)竣工
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「生絲直輸出の目的を以て設立せらるれたるものを生絲合名会社とす同社は事業の発達顕著となり隆盛に進めるより新に広壮なる建築を為し一層事業を伸張し本邦生絲直輸業者として三井物産に次ぐ輸出高を有する極めて有望の会社なり況んや敏腕の聞ある山田松三郎氏之が社長たるに於てをや。」現代之横浜

「生絲合名會社は曾て同伸會社副社長たりし新井領一郎氏の發企に係れり、原茂木等の豪商資本金五十餘萬圓を醸出し、明治廿六年十二月を以て開業せり、廿八年に至り社員中の同志別に生絲直輸出合資會社なる者を組織し、生絲合名會社が製絲家より買ひ集めたるものを更に買ひ取りて海外に直輸する計書なりしが、同一社員が二個の會社を經ざれば貿易をなす能はざるは頗る其策の迂なるを認むると共に、一方には時勢の進歩に伴ひ直輸出の危険を減じたるにより、卅二年中二合併して資本金を増加し、爾来 一箇年二千萬圓内外の直輸出をなすに至れり、刻下の代表証員は伊藤富次郎君にして、君は三重懸の富豪伊藤小右衛門氏の四男文久二年八月を以て生れ、夙に斯業に従事し着實の誉れ高し、合名會社の發展して今日に至れる職として君の力に待つものあるは論ずべきなし、」横浜成功名誉鑑


シルク

生絲日報

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