貿易新報 |
市川國松
洋酒類食料品並ニ小間物商
山下町97番地(854)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
市川國松 山下町97番地「艱難人を玉にすとは古来幾度か繰り返へされし俚諺なれど余は君の一生に於て其の真理を具體的に認識するを得たるを喜ぶ君は嘉永六年二月静岡縣庵原郡奥衛町に生る父を小衛門氏と云ひ世々農及び商を兼ね營む君は其の五男なり六歳にして父を喪ひ母手に依りて養育せられ不幸不如意の裡に初等教育を了し明治二年横濱に出で元町一丁目に洋品食料及び洋酒店を営める實兄幸兵衛氏を訪づれ入りて同業を見習其の間少なからざる辛酸を嘗めと雖も拮据勉勵惓むことなく畧ば業務の一般に通通暁するを得たりし頃不幸にして兄幸兵衛氏二豎に冒され遂に歸國するの巳む能はざるに至りしかば君は其の後を繼續して益々業務に勉勵し家運愈々隆盛に赴きしが明治八年同市に大火ありて君が亦類焼し莫大の損害を蒙りしが君の勤勉と信用とは直ちに同所に以前の営業を開始するを得せしめたり翌年現所に轉宅して益々業務の繁榮を圖りたりしが同年再び同所に火ありて全焼の災厄に罹りしかば困難又困難殆んど再び起つ能はざるに至らんとせり然れども天は自ら助くる者を助くと勤勉に亞ぐに勤勉を以てし忍耐に亜ぐに忍耐を以てせしかば其の勤勞空しからず三たび同所に一大洋酒店を開業するを得るに至れり茲に於て君は寝食を忘れて業務に盡瘁し刻苦勉勵一身を家運の開發に捧げて数十年來一日も惓むことなかりしかば大に世間の信用を博し店運益々隆盛に赴き今は市内有数の大商家となるに至れり君又嘗て同市南京町に本邦人の籍を置く者僅かに二十七名に過ぎざるを憂ひ町内親睦會なるものを設けて一面町民の交誼を厚ふ傍ら實業の発達に資し廿三年より卅九年まで其の會長を勤め又明治卅五年同市商業會議所議員に撰ばれ今猶其の職に在り」京浜実業家名鑑
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