武蔵屋
熬豆店
伊勢佐木町1丁目1番地
(写真は松ヶ枝町、支店か、別の店か)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
武蔵屋熬豆店 川邉正義「熬豆を以て産を興せしといへば人は實にその根氣よさに驚かん、川邉政治氏は名古屋の人、世は西南の役とて兵馬倥偬の際志を立てて東京へと上りしが、事志と違ひて凡て徒労に屬せり、流遇の末横濱に來り、若干の資を擲ちて豆に代へ、はじけ豆を製して行路の人に鬻きしに、此畫策誤たず忽ちにして賣り盡くせり、随ふて熬り随ふて盡くす、轉々に幾回を知らす、諺に云ふ熬豆に花と、氏の運命や實に花の盛りなりき、かくして當市に於ける熬豆屋の元租として終に名題となれり、現主政義君(十五年出生)乃父の基礎に よりて、食料熬豆類一切を専業とし、殊に人造豆なる菓子は獨得の妙品として風味佳良是叉意外の好評を博し、武蔵屋豆の名遠近に響き、伊勢佐木町散歩の客必ず家苞にと購ひ歸へる、一粒萬倍冥利は一に此の店に集まりつ、人に仇なす悪鬼どもも、豆には到底敵し難きと見ゆるは實にも目出度き限りならずや、」横浜成功名誉鑑
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