大谷貿易商店 元浜町

現代之横濱
大谷商店
貿易商
元浜町2丁目15番地(115)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

大谷嘉兵衛 元浜町2丁目15番地「我國製茶貿易業の今日あるは偏に君の賜なり獨同業のみならず横濱の各事業概ね皆君が聲望指導の下に成る其東京の澁澤大阪の松本横濱の大谷と世に併稱せらるゝもの亦宜なる哉君は弘化元年十二月伊勢國飯南郡川俣村に生る父を吉兵衛氏と稱其五男なり文久二年始めて横濱に出で専ら製茶貿易業に従事す明治五年製茶輸出の頓に増加したるにより粗製濫造聲價の失墜を招かんとするを慨し製茶改良會社を設立して之が救済に盡悴す十四年第七十四銀行取締役に擧げられ行務を刷新して悲運を挽回し爲に頭取に上りて今に至る十七年橫濱製茶組合を組織して組長となり又茶業組合中央會議々長に推され全國茶業者を統一して中外に重きを爲す二十一年米国が我製茶に苛重の關税を課するや其存廢は斯業の興廢に關する至大なりとし三十二年奮ふて渡米し彼國朝野の間に奔走盡力逐に廢税の目的を達す又費府に開催せる萬國商業大會に本邦商工業を代表参列するや太平洋海底電線敷設の議を提出して米国の輿論を動かし今や日米直通電線の至便を享く君與りて力あり尚歐洲各國の商工業を観察し翌年帰朝す君嚢に支那に遊び亦欧米を視察し所見を記録して遍く世に頒っ我商工業界に資する處甚だ多し若し夫れ實業以外教育に奨兵に慈善に十年一日勞費を吝まず盡して休まざるは當代稀に見る所今公私重なる要職を擧ぐれば横濱貯蓄銀行頭取東京火災保險會社インタナショナルオイルコンパニー横濱倉庫株式會社取締役日本勸業銀行日本興業銀行臺灣銀行帝國海上火災保險會社湖南汽船會社各監査役橫濱市參事會日本赤十字社監事米國費府博物館日本貿易協會各副委員長臨時大博覽會評議員等なり卅九年日露戰役の功に依り勲三等瑞寶章を授けらる」京浜実業家名鑑

日本茶業家の泰斗 大谷嘉兵衛「製茶貿易界の巨人、 大谷嘉兵衛君は我邦茶業の根元地伊勢の人『弘化元年生』なり、幼より茶業に従事せしが、製茶輸出の将來有望なるを察し、文久二年断然郷里を辭して横濱に来れり、時に年僅に十九歳、幾多の辛酸を継て獨立賣込商を開始せしが、果断なる經營其宜しきを得嶄然斯界に頭角を現はせり、製茶貿易の隆盛に趣くと共に粗造濫製の弊漸く起り、海外の聲價将に失墜せんとするや、君は同志を糾合して矯正の策を講じ、政府に建言して茶業組合を組織し『是れ同業組合の率先なり』、全國製品の統一を企畫して之れが牛耳を執ることとなれり、又屢々産地を遊説して改良を奨勵し、外は販路の擴張を圖りて直輪出業を指導し、卅年來席暖まるに遑あらず、三十一年米西戦争の結果米国は茶に苛重なる輸入税を課するや、君は全國同業者の輿望を容れて三十二年の秋渡米し時の大統領マッキンレー氏を始め朝野の有望者を歷訪し、極力廢税を促して翌年歸朝後更らに敏活一なる運動を繼續し、卅五年に至り遂に廢税の目的を達することを得たり、君が此の渡米を機會として東京橫濱兩商業會議所を代表者とし、費府萬國商業大會に参列して、日米直通太平洋海底電線速成の事を提議し、大に米國官民の輿論を聳動せしめ、爲めにに太平洋電信會社設立の擧となりて貿易上多大の稗益を與へたり、之より先き君は海產乾物輸出業を營み又蠶絲貿易商を兼ねしが、四十二年七月蠶絲部を改めて大谷合名會社を組織し、業務擔當代表社員として令息大谷幸之助君及び令甥大谷善二兩氏をして之れに當らしめたり、君は實に我横濱に於ける元老として、又日本商業界に於ける有力者として其の双肩に懸る重責極めて多し、日本製茶會社長、橫濱七十四銀行及貯蓄銀行頭取、日本勸業銀行、日本興業銀行及臺灣銀行の監査役、東京火災海上運送保險會社及び横濱倉庫會社の取締役等を帶び、公職として曾て貴族院議員たり、又橫濱市參事會員、神奈川縣會支部會議長貿易商組合總理、橫濱市水道局長たり、現に横濱商業會議所會頭及び日英博覽會評議員、 横濱銀行俱樂部長、茶業組合中央會議所會頭、横濱市茶業組合長、米國費府商業博物館商議員會副會長等を兼ね、其他公共事業に關し盡瘁する所枚挙するに遑あらず、内外博覧會共進倉等の開設毎に評議員審査官等に任ぜらること數次、教育宗教及奨兵事業に對しては殆んど全力を傾注し横濱市教育會長として横濱俳教講話會長として、多年教育及宗教上に蓋す所多し、横濱奨兵義會長としては日清日露の両役に際し、犒兵後援の事業具さに至り、全國に於ける模範的の團躰として上下中外に賞揚せられたる偏へに君の熱烈なる按排其當を得たるに因る、君は啻に本邦實業家の泰斗たるのみならず、實に世界的の名聲籍甚なるものあり、今次米國實業家の招待に當り、君は横濱主賓の一人として起て之に赴かる、君性温厚篤實福徳圓満の君士人にして、聲望隆々名誉内外に高く文明的實業家の好典型として推稱を受く、宜なり、曩に多年の功労により勲三等を賜はる、吾人は此尊ぶべき德望家を有するを以て、私かに横濱の誇りとすべきを信ずるもの也、」横浜成功名誉鑑

大谷合名會社代表社員 大谷幸之助「明治四十二年七月大谷商店は蠶絲部を改めて合名會社と爲し、大谷幸之助君を代表社員とし、嚴父嘉兵衛氏及從弟善二氏社員たり、幸之助君は幸兵衛氏の長息にして嘉兵衛氏の養嗣子なり、幼より頴悟能く商務に長じ、世の袂袴者流の輕薄兒にあらず、日に牙籌を執て商戰塲裡に折衝し、常に身を一店員の卑に置て夙夜精勵少しも怠らず世に其名家の子に背かざるを嘆賞さる、今や年齒漸く壯に及ぶ、生絲界に於ける此後の飛躍刮目して見るべきあるや疑ひなし、」横浜成功名誉鑑

大谷嘉兵衛「茶業界の大王にして其名海の内外に顕はる戰後の發展を期とし我國運を隆盛ならしむるの秋來れり氏請ふ努めよや至望至囑」京浜名家総覧

「我国の実業家として名声海外に聞えたる大谷嘉兵衛氏の経営する所にして其信用の大なる取引の確実なるは言を待たず実に横浜屈指の大商店なり、同店の営業は製茶并に海産乾物貿易商として廣く世に知られ又近年生絲貿易を開始し令息幸之助氏主任となり経営宜しきを得加ふるに乃父の信用を以てして其発展顕著なるものあるに至り生絲貿易商として屈指せられ重きを同業者に致すに至れり。」現代之横浜

0 件のコメント:

コメントを投稿