平沼商店 本町

平沼商店 横浜銀行
銀行
本町2丁目27番地(26
慶応元年(1865)平沼専蔵が本町4丁目で引取商を開業、その後本町2丁目に『石炭屋』(屋号)を開店した。明治43年(1910)専蔵の三男の久三郎が頭取となって平沼銀行を開行、大正5年(1916)伊勢佐木町1丁目2番地に移転した
明治の横浜手彩色写真絵葉書

平沼専蔵 本町2丁目27番地「世間往々君を非難して言ふ高利貸にして徳義なく人を溝壑に顛はして顧みざるものありと鳴呼君や眞に如此にして擯斥すべき人なるか蓋し人事凡て棺を蓋ふて定まると云ふと雖も子は君が世人に誤解せられたることの比較的に大なるを悲むものなり人必ず萬全なるを得ず古來人傑として目せらる人の經歴を見來れば殆んど瑕疵なきものはなし瑕の大なるは偶々以て人物の大なるを證するも のなり現今の富豪者流其の發展の初期に於ては權謀を弄し術策を挟み危道に萬一を僥倖したるもの皆其軌を一にし行為の悖德沒理の大なる豈君が比ならんや惟所信に於て差あるのみ君が所信は萬人の翹望して已まざる金力の故を以て既に君の位置を作る萬人の嫉惡する所宜なり世上より過大視さる双已むべからざるか君は埼玉縣高麗郡飯野町の人天保七年正月に生る萬延元年出で横濱に居を卜し永住の地となす慶應元年始めて貿易商を開く同三年より明治元年に亘り米價暴騰し細民の窮狀甚しきを以て所藏の米穀を低廉に販賣救濟の途を講ず明治十年横濱取引所步合金取締役を命ぜられ同年第一大區議員に選擧さる爾來公共に實業に重任を負ふて事務に鞅掌する頗る多し廿二年海防費中に金五萬圓を献納し金製黄綬褒章を賜ひ從五位に叙せらる二十四年日本赤十字社特別社員に列し三十三年貴族院議員に任ぜらる三十五年叉横濱市より擧げられて衆議院議員に當選す三十七八年戦役の功に依り勲五等双光旭日章を賜はる君又公共事業に資を投ずるに吝ならず年々寄附する所數千圓を下らず嘗て十萬金を投じて平沼小學校を建設し貧民の子弟を教育するあり又獨力を以て有名なる金澤文庫を再興せしめたり所謂能く積みて能く散ずるのにあらずや」京浜実業家名鑑

實業界の偉雋 平沼專藏「人誰か毀譽なからむ 、世焉ぞ褒貶なからむ、大業を企て偉勳を奏するもの其逕路各異なり、棺を蔽ふて始めて功罪を斷ずべきなり、從五位勳五等平沼專藏君身を埼玉縣飯野の一寒驛より起し、或は江戶に或は横濱に、赤裸々の躰軀を驅りて労役に従事し、歩一歩百尺竿頭に到達せしもの、血河屍山は跋渉せざるも、硝煙弾雨は凌犯せざるも、凛乎たる豪膽斗の如く、常に商戦場裏に活躍飛動せしなり、勝算歴々向ふ處敵なく、堂々たる旗幟を一方に翻へすに至り、軽忽者嫉妬者争ひ起りて喧々囂々、時として嘲罵の言を放つものなしとせず、見よや古来戦國武士、身を徒隷より起こして汗血悍馬に鞭ち幾たびか死生の間に出没して漸く五位尉を辱ふするに至りては、家門の譽れ末代迄の績しと喜びしにあらずや、啻にその一家に止まらず世擧りて英雄と稱し俊傑と唱へて功名長く竹帛に垂る、世間何焉ぞ不公平にして而かも不均一なる、人を殺し世を乱し、蒼生を塗炭に苦しめて猶且英傑偉俊と崇拝され、産を作り家を興し、社會に貢献する者は却て悪罵嘲笑さるるに至ては慨然たらざるを得んや、平沼君國難に蒞みて或は海防費に或は軍事公債に、不時に在りては各種の公共事業に提供せし出資幾萬金なるを知らず、市に對する功労としては朝田又七氏の後を承けて、水道公債を整理し、難工事を敢行して三十薦の人口朝夕其恵に浴するを得せしめ、社會風教に關しては金澤文庫を再興して我國文學の命脈を績ぎし古名将の遺志を不朽に傳へしめ、貧民學校を建てて無辜薄命なる窮兒に暖かき同情を寄せたる如き、如何ぞ君の頭脳や冷静なるべき、君の抱負の大なる蓋し吾人の付度し難きものあらん、世の毀誉褒貶豈一噸一笑に値せんや、必ずや世人を聳動せしむる絶代の美事あるべきは吾等の信じて疑はざる處なり、」横浜成功名誉鑑

横浜銀行「銀行界の覇王にして濱港の巨傑平沼専藏氏の経営せる唯一の金融機關たり其信用其確實は巳に世評に上りて嘖々の名あり」京浜名家総覧職業

「故平沼専造氏の設立にかかり始め横浜銀行と云ひ後組織を改め平沼銀行と改称す、現頭取は平沼久三郎氏たり、財界に於ける平沼氏の偉大なる勢力の上に立てる銀行なれば行運隆々たり。」現代之横浜

平民的の金融機關 横濱銀行「資本金一百萬圓、積立金八十三萬二千餘圓、明治廿四年一月の創立にして、平沼專藏君の發起に係れり、君布衣より起りて金權を掌握し、前途の形勢に見る所あり、自家資産の鞏固と市塲金融の圓滑を圖らんが爲めに、慨然一家を銀行組織と爲す、特色とする所は平民的の商店風を以て簡便に取引を爲し、時間外と雖も行務を辨ずるに在り、別に貯蓄を奬勵せんが為め金叶貯蓄銀行を經營して專ら低利の貸付に應ず、支店を東京日本橋區小船町に置けり、頭取には平沼專藏君あり、取締役は平沼八太郎、野田半七の二君、監査役として相原定輔、吉田平吉の二君其任に在り、須賀甚藏君支配人として行務を統括す、」横濱成功名誉鑑


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