朝田回漕店 元浜町

朝田回漕店
海陸送
元浜町1丁目1番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


朝田又七 元浜町1丁目1番地「前貴族院議員にして横濱實業界の泰斗たる君は橫濱市會議長橫濱商業會議所議員神奈川縣防疫顧問破產管財人橫濱衛生會々頭日本赤十字社神奈川縣支部商議員日本海員液濟會評議員帝國海事協會橫濱市地方委員橫濱船渠株式會社取締役會長橫濱鐵道株式會社社長明治火災保險株式會社取締役明治生命保險株式會社取締役株式會社第二銀行監查 役機械製氷株式會社相談役株式會社橫濱實業銀行相談役株式會社橫濱實業貯蓄銀行相談役日本
下製造株式會社取締役橫濱倉庫株式會社相談役等の現職に務め過古の公共事業に盡瘁し貢獻するものに至っては殆んど枚挙するにあらず市政縣治に對し或は他地方の災害に對し或は土木教育慈善の上にし或は軍國の際に應じ金品を義捐し金銀木杯等を受領せること又列記の煩に耐へず宜なり君は實業界裡にありて一方の覇を稱するに足るのあるを君は愛知縣渥美郡豊橋町に天保九年十 二月二十八日を以て生る稍々長じて遠大なる志望と非凡なる才識とを抱懐し以て時機の来るを俟つ一度風雲に逢はば宛も龍の如く騰り虎の如く嘯かんとす時は来れり交久元年を以て剏めて横濱に赴き將來水運力の利用拡張せらるべきを察し遂に囘漕業を創む謀計誤たず君が天賦の不撓不屈の精力を活動せしめ霜晨雪夜拮据麗黽勉甞て一日も斯業を怠らず其報果は忽ち四方顧客の大なる信用を博し業務の隆盛を来たし爾来各種の事業を經營し遂に雲龍變絶大の成功を収め得て一世の瞻仰する所となれるは曠世の偉才を備ふるにあらざれば焉んぞ能く此の如くなるを得んや尚營業店は元濱町一 丁目出張店は海岸通四丁目別邸は住吉町六丁目にあり因に云ふ君は勘解由甚四郎氏の次男にして文久二年朝田家を相續せり」京浜実業家名鑑

「眞黒になって波止場人足をやったのは、店主朝田又七氏が横浜に来て間も無い時の事で、それからはトントン拍子、曾ては縣會議員たり現今は市會議長、商業會議所議員、横浜船渠會社長たる要職にある。どんな事をしてゐる人でも見さげるものでは無い、とは平素よく人に語る處である。三洲豊橋の産で相場に千圓程の損失をしたのが動機で横浜へ来たのであるが偖其當時金が落ちてゐるやうに聞いた開港場も来て見ると餘程な相違、詮方無く人足となって波止場稼ぎをなし竹の皮飯を二日食ったのである。特に駿州屋の先代松下定七氏に見抜かれて店員に採用され、後定七氏の斡旋で朝田家の入夫となった。時ある哉西南戦争、陸海軍御用の回漕を引受けて非常な巨利を博した。日々に計算が出来るやうでは儲けた處で知れたものだとは、氏が後に云った言葉で、其時は晝夜の別なく忙殺され、利益を見てゐるのやら損失をしてゐるのやら解らなかった位だといふ。先に瓦斯局長であった折、各戸に於ける瓦斯設備に就いて支配人に諮す處があったが、精細なる點に迄緻密に留意されるのには驚くばかりであったさうだ。又一面には人材登庸に意を継ぐから店には敏腕家揃ひであって、機敏に業務を取扱ってゐる。」実業之横浜

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