福井屋旅館 住吉町

福井忠兵衛旅館
旅館
住吉町6丁目81番地(410)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

横浜旅館の率先 福井忠兵衛「開港同時に率先して旅館を開けるもの、關內にては福井鹿島屋丸岡屋の三店なりしか、福井は明治四年に至り大に時勢に鑑み三層の櫓形の高閣を築きて人目を聳動せり、此の奇拔なる趣向を凝らせしは實に初代福井忠兵衛氏にして、駿河藤枝の人、元治元年橫浜に來り舊本町一丁目の角(今の辨天通五丁目)に於て旅店を創立す、是當市に於ける嚆矢なり、爾來二三代を傳へて現在忠兵衞君に及び、宮内省及各宮殿下御用参謀本部の御用達を蒙り、同業者の總代として海外渡航に關する旅客一切の件を一任さるゝととなれり、君は舊幕旗下の名族、其先は遠く今川氏に出て、伊久美姓を名乗る、幼名は谷平、明治二十四年三代忠兵衛氏の養嗣子となり、次で襲名す、資性清廉にして潔白、平素濶達細事を肯せず、而かそ鋭敏にして緻密なる頭腦を有す、渡航移民の如きは實に邦國の大事として、彼我の間に斡旋する所少なからず明治三十年より米國タコマ地方の有望なるを說破して同地方渡航者を誘導し、三四ヶ月間の取扱八千餘人の盛况に達せしとあり、叉参謀本部の御用を勤むる貳拾五ヶ年にして、内地を跋涉せしと數回に及び、其足跡實に四十八國に逼ねしといふ、現時旅館にして汽船問屋を兼ね、郵船會社東洋汽船及び太平洋汽船會社等の各代理店を營む、海外旅客取扱業に於ては實に當市の第一流に位す、」横浜成功名誉鑑


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