神奈川縣案内誌 |
鹿島屋
旅館
弁天通3丁目42番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
旅舘の先頭鹿島屋 安田貞助「福井旅館と々もに橫浜最古の旅館なる鹿島屋龜吉は、明治廿二年中安田貞助君に老舗を讓りて退轉せり、安田君は靜岡縣の人、蒲原驛谷屋旅館主の二男なり、谷屋は往年兩陛下の御駐輦ありし名譽の家柄なり、君幼より東京に遊學し漢學及法理學を研究し後橫浜に轉じ生絲商を營みしが、考ふる所ありて再び上京し、大木參議の門下生となり研鑽數年郷に歸ヘりて製茶の事業に從ふ、後明治廿二年鹿島屋旅館を讓り受け、製茶生絲羽二重等の紹介業を兼ねて荷主の定宿を開業せしに、業務日に增し繁盛に赴き、舊時の鹿島屋に比しては實に一籌を進るの地步を占むるに至れり、君資性優雅甞て小室畵伯の門に入り潮雲と號し、暇あれば揮灑會心に至るといふ、又義太夫を嗜み斯道の先輩も後に瞠若する所あり、鳴呼多藝にして多能羨むべき哉、」横浜成功名誉鑑
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