小町屋洋品店
帽子小間物商
弁天通3丁目45番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
福澤角三郎 弁天通3丁目45番地「至誠能く天に通じ至孝能人を動かす宜なり君 が廛舗の旭日昇天の勢を以て商況日に盛んに名聲月毎に揚り行くことや本市にありて屋號小町屋の舶来毛絲商として世の信用噴々人口に膾炙せらるるは既に人の知悉するところなりとす是れ蓋し其隆盛なるを以て其商業に對し着實熱心黽勉事に當 るのみならず唐物商の舊家として開港以來輸入の先鞭をつけたるは恐らく日本の元祖てふ榮譽を獲らるべき者なりされば一旦横濱に揚陸されて再び崎陽に輸送せるを見し程なりと云ふ豈盛ならずや猶兼ねて西洋小間物に於ても一手販売の名を擅にするより察するに其商業の盛大規模の宏壮なること推して知らるべきなり君歳十五歳にして横濱に出で將來大に實業者となり手腕を揮はんとす茲に於て君は小野屋の丁稚となる十九歳の時主人白玉楼中の人となり越えて二十歳君は同輩中より擢んでられて該家の養嗣子とせられたり是より先き君が日常の勤務忠實勤惲熱心精勵にしてひたすら家の爲に盡瘁せられしかば君が爲人は疾くも主の認識するところとなり随って一家の信用頗る深厚を加へられし結果ならずんばあらず原來君は刻苦鋭意才能は遺憾なく発揮せられて専念主恩に報ひ猶進んで其商業をして舊に倍せんことを之れ努め更に寧日あるなし而して養母に事へて孝養到 らざるところなし一事は萬事とやら衆德の根基たる孝順の德は百事百物に顯はれ商勢の旺盛を来せる誠に自然の應報と稱すべきなり養父は鶴太郎氏と呼ばれ慧眼機敏にして商畧に富み斯業界に鼻租 と仰がれを以ても其才能卓越の人たることを推想するを得るなり君が實家は横濱附近大岡川村にして明治八年三月一日を以て生る横山武左衛門氏の三男なりと云ふ」京浜実業家名鑑
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