横浜七十四銀行 南仲通

横浜七十四銀行
南仲通2丁目20番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「明治十一年七月の創立にして国立銀行より私立株式会社に組織を変更したるものなり業務日々に盛大に赴き財界の信用厚し資本金弐百万円積立金六拾七万円預金五百拾弐万円を有し頭取は我国実業界の泰斗たる大谷嘉兵衛氏にして基礎鞏固前途発展の気運勃勃たり。」現代之横浜

土着の大銀行 橫濱七十四銀行「明治十一年七月資本金四十萬圓を以て國立銀行として創業せしが、明治十四年に到り行務紛糾せし事情あり、茂木惣兵衛氏入て頭取となり、同時に森謙吾氏を擧げて支配人たらしめ整然たる秩序を見るに至れり、後製茶貿易商の機關として行務大に上がれり、二十年六十萬圓に增資し、卅一年四月私立銀行として繼承するに際し、現稱に改め百廿萬圓に增資し、卅三年三月更に二百萬圓に增資せり、三十八年十一月改築して現在の宏壯なる建物に移轉す、卅二年九月十東京支店を、卅四年七月元町支店を四十年八月神奈川支店を設置す、現在資本金二百萬圓積立金四十六萬五千圓、頭取は大谷嘉兵衛君、取締役は箕田長三郎、茂木保平、長井利右衛門、森謙吾の諸君、監査役は竹内淸次郎、岡野利兵衛の兩君にして森君は支配人を兼ね、別に橫濱貯蓄銀行あり、南仲通二ノ二二電話六八五、資本金五萬圓積立金一萬四千圓役員總て大同小異にして、東京日本橋、本市元町、神奈川西ノ町及伊勢佐木町、野毛町に支店あり、本行に密接の關係を有す、本行は橫濱に本店を有する銀行中の有力なるものとして其名內外に聞ゆ、」横濱成功名誉鑑

森謙吾 老松町1丁目3番地「七十四銀行は横濱に本店を有する銀行中設立最も古きものの一に属し之れが取締役兼支配人たる森謙吾君は横濱銀行家中指を屈すべき先輩なりとす君は肥前舊大村藩の出身にして十四歳にして父を失い家道元より裕かならざりしと雖も母たね子賢明にして淑徳あり人の爲めに裁縫洗濯の業を營み繊弱の腕一つにて君以下六弟を養育し且つ普通教育を受けしめたるが故に君は夙に慈母の殊恩に感泣して特に孝悌友愛の德性を涵養せられ自立勤勉の氣象を陶冶せられたり既にして二十歳に及ぶや國を出でて官途に就き爾来各所に歴任し令聞を博しけるが明治十二年琉球藩を廃して新に沖縄縣を置くに及び同際の會計課長に抜擢せられたり時に年齢僅に二十七居ること一年にして能く新附の地に會計料理の衝に當り頗る好成績を収めたるを以て其の手腕を識認せられ七十四銀行紛亂の後を整理すべき適材として選抜せられ茲に君が後半生の銀行事務に従事することとなりぬ是に於て君は茂木惣兵衛氏頭取の下に鋭意行務の整理に着手し三年の星霜を経る間にさしも亂麻の如き七十四銀行は既に整理の實を擧げたるを見る是れ元茂木惣兵衛氏の重望に負ふ所尠からずと雖も君が精緻の頭脳に依るもの多きに居るを疑ふべからず茂木氏歿し大谷嘉兵衛氏新に頭取の位置に就くや同行は更に行務の刷新と發展とを試み遂に蔚然たる大銀行として見るべき盛況を呈するに至る思ふに大谷氏の性格は圭角を有せざること恰も玲瓏たる白玉の如く森氏は温厚の質克く人をして悅服せしむるの德を有し其の人格亦一個の美玉の如し此の両玉相照らして茲に七十四銀行一種の行風を馴致し 内には行員を懐柔し外には顧客の満足を博するに至れる實に其人を得たりと謂ふべし」京浜実業家名鑑


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