越前屋
呉服卸小売
伊勢佐木町2丁目21番地
明治16年(1883)吉田町で開業した横浜4大呉服店のひとつ
明治の横浜手彩色写真絵葉書
越前屋 太田與市「當港繁栄の中心に位置し最新流行物一として是あらざるはなく店頭常に顧客の絶ゆる時なし以て其勉勵を知るに足る」京浜名家総覧職業
「店主太田與市氏は堅実なる商業家を以て知らる従って其営業方針も氏の性行に伴ひ着実を以て主義とす然れども時勢と共に推移することは一歩も他に譲らず、大呉服店の一に屈指せられ野澤屋、鶴屋、相模屋等と併せ称せらる、品種多くして営業確実なるが故に同業者中尤も信用厚し。」現代之横浜
伊勢佐木町通の美觀越前屋呉服店 太田與市「横濱の熱閙區なる伊勢佐木町通りに、三層の白堊電光に輝やいた一大不夜城を現出した、唇氣樓か龍宮か、渡津姫にやあらむ天津乙女にやあらむ、幾百幾千の嬌態蜂腰、輕羅嫋やかに、衣袂香しく楚々として蓮步の絶へざるものは、他なし越前屋呉服店である、店主太田與市君の父なる人が越前國勝山町より來りて、吉田町一丁目に呉服太物を鬻きしは去ぬる十六年の頃であった、數回祝融は同店を見舞ひしが世にいふ燒太りでもあらふか、否店主の精力と忍耐で一難毎に益々奮勵勇氣を惹起したのである、卅七年に現主相續して以來一層の發展を加へ、時運の進歩に伴れて、四十一年一月工學士遠藤於菟氏に設計を托し、最新式の鐵骨白煉浘三層の陳列場を建築された、實に月を重ぬる十五、翰奐の大なる装飾の美なる陳列塲あり、運動塲あり、喫茶室あり、吾人の理想とせる模範商店の各要部は遺憾く此處に發揮された、巳に此店舗あり、內容豈瓦礫を錦繡もて包まんやで、一般婦人を中心とせる流行界の品物、呉服類は云ふ迄もなく、化粧品西洋小閒物雜貨類を一括して陳列し、驚くべき低廉價額のデパートメント式を用ゐたる主人の奮發は實に言語に絶す、されば店員も能く其主の意中を躰し、飽く迄實直に且懇篤に、顧客に應接する樣は等しく滿足する所である、由來横濱は豪奢の地、全國に於ける有數の呉服店啻に二三に留まらず、其間に介在して一頭地を抜ける働き振りは目醒しき限りである、君は甞て獎兵義會幹事として盡力され、双現に呉服商組合委員伊勢佐木町二丁目會副組長として推重さる、年齒正に四十四、」横濱成功名誉鑑
現代之横濱 |
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