横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
1900-1920 明治〜大正 古絵葉書・古写真・古書籍・古地図より
トンボヤ製絵葉書 番号入り
トンボヤ製絵葉書 番号入り
トンボヤ製絵葉書は数多く発行されているが、横浜の景色を題材にしたものに(Y+数字)がついていることが多く、手元にあるもので400番代まで確認できている。トンボヤはこのY+数字シリーズの1番を担う風景としてこの横浜停車場を選んだようだ。ちなみに他の絵葉書屋も番号付き絵葉書を発行していて上方屋は横浜海岸、上田屋は横浜公園を1番にしている。さて、この横浜停車場、よくよく見れば停車場入口は装飾されていて米国の国旗が掲げられている、米国大西洋艦隊来航を歓迎する風景である。時は明治41年(1908)10月18日その前後、つまり(Y+数字)シリーズの発行は明治41年(1908)10月以降ということがわかる。ただし撮影と発行は異なるので注意が必要だし、他の絵柄の(Y1)が発見される場合もあるだろう。果たして(Y+数字)シリーズの撮影は明治41年(1908)10月以降なのか、調査は続く
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
横浜教育水族館 羽衣町
横浜教育水族館
羽衣町1丁目12番地
明治39年(1906)弁天社境内に開館、館内には15の水槽を設置し、鯛、鰻、鯉などを展示した。2年後の明治41年(1908)に解散した。
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横浜水族館は山田才吉氏に買い取られ、明治43年(1910)に開業した名古屋市東築地の名古屋教育水族館として再建された(高橋敬子さんより情報提供をいただきました)
フェリス女学校 山手町
フェリス女学校
山手町178番地
アメリカ婦人宣教師キダーにより明治8年(1875)開校した
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英語女塾の起原 私立フェリ ス和英女學校「明治三年伊勢山に英語女塾を開き、八年五月百七十八番に移し、十四年現所に移轉して更に校舍を增築す、是フェリス女學校歷史の一片なり、本校はタッチリフォーム傳道會社の附屬にして米人フェリス氏の創設に係る、現今は校長イ、エス、ブース君、副校長ミセスブース、敎頭岩佐琢藏氏、舍監奥山有志氏以下內外敎授二十名にて分擔す、程度は高等女學以上の専門學校に屬するものなれども、未だ文部省の認可を受けず、本領とする處は女子として眞自覺を與ふるにあり、基督敎主義の徳育は眞生涯の基礎を造くるにあり、本邦固有の精神を發揮するにあり等とす、今日迄卒業生を出す實に千有餘名に上り、出身者は英語と音樂とを以て最長所とすといへり、されば時勢の要求に應じて入學志願者每期應募人員を超過し止むを得ず入学を拒絶するの盛況を呈し居れり、」横浜成功名誉鑑
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