清林堂菓子舗 扇町

實業之横濱
清林堂
和洋菓子商
扇町2丁目43番地(1578)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

清林堂 小林忠七「本舗は其専賣に係る新菓宇治の友に倚て其名高し店主常に非凡の技を以て珍菓を案出し風味の佳價格の廉なるを自負す店頭顧客の絶へざる宣なりと云ふ」京浜名家総覧職業

宇治の友本舗(清林堂)小林忠七 翁町2丁目43番地「市内幾多の菓子舗より發賣する滋養珍菓の中、最も雅味あるものは『宇治の友』なるべし、乙れ清林堂主小林忠七君が多年苦辛の結果、香味卓絶茶菓兼用の好飲料として發明したるもの、一たび賣り出すや名聲立ち全市を壓し、内地は勿論遠く清韓及東南洋諸國に當つて輸出するに至り、近來は紅茶珈琲代用として外人にも賞用さると云ふ、清林堂は埋地方面に於ける老舗にして明治十年の創業なり、初代主人文次郎氏は信州の産、始め他家に養はれしも人の産を受くるを潔しとせず、横濱に出で、某商館に奉公し、貯蓄を作りて質商を營み火災に遭ひて資を失ひ、刻苦辛酸、途に菓子商となりて基礎を定む、現主忠七氏父業を繼承して益々製菓の方法に心を苦しめ、『宇治の友』を案出して登録商標を受け、各共進會品評會に出品して賞を受くる數次、以て其眞價をトすべし、君叉同業者の一致團結を圖り營業上の改良を促すが為め、率先して先づ埋地部内の組合を組織し、次て全市同業組合の成立を見るに及び、君は其副組長として力を盡しつつあり、堅實持久は君の特性にして今後の發展更に見るべきものあらむ、」横浜成功名誉鑑

「現在の處へ開店したのは今より廿年以前で、殆で新杵と同時に斯業に従事したので、未だ風月などが出来ぬ時代であったので同町に於ける所謂草分である。先代没後十四年になるが餘り發展しないのは勉強が足らないからですと當主は云って居る。併し此間に内務省に登録の『宇治の友』といふのを發賣した、多年日本向の製菓には經驗を持ってゐることであるから可成好評である。蓋し顕實持久を店主としてゐるやうであるから着々として進んで行くらしい。地の利が悪いと云ふ程でもないから、發展は今後にあるのであらう。」実業之横浜

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