日光商店
陶磁器貿易商
弁天通2丁目27番地
明治15年(1882)頃より商館の行商を始め、明治18年(1885)住吉町に店舗を開いた。その後南仲通に移転し、さらに明治24年(1891)には弁天通へ移転した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書
陶磁器商日光商店 加藤湖三郎「横浜陶器賣込商組合副組長なる加藤湖三郎君が過去の經歷は實に少壯實業家の好模範なれ、明治十五年の頃些小けき柳行李に、珈琲カップ、チョコレート皿さてはクリーマーなどを詰め込みて、居留地を戶每に賣りあるけり、陶器及繪心の素養ある君は繪付模樣色彩等にも判りが早く、隨て注文の呼吸も呑み込みたれば、瞬くうちに得意を擴め、十八年の頃には已に住吉町に一小店を開きて店賣をも創始せり、後南仲通に轉じ、廿四年十一月現住所に移れり、性質勤勉にして節儉自ら持し、殆んど玆に二十年一日の如く、今日に至りては市内屈指の陶磁器賣込商となれり、大阪博覽會に出品の際は宮內省御買上の幸榮を荷ひ、白耳義、ポートランド、米國聖路易各博覽會よりは賞牌を贈與せらる、其名譽や大なり、君は尾張東春郡水野村の人にして、本年五十三歲、家代々農を營み庄屋の家柄なりしも、君が十六歲の頃は家運衰へ、十七歲に至り陶磁器の有利なるを鑑み製造を始めしが、無資本無經驗の爲め成功せず、廿五歳にして奮然上京し、偶々栃木縣立陶器工塲の職工募集に應ぜしも、素志貫徹の目的なきを以て再び東京に來り、某繪師に就き學ぶこと半ヶ年、明治十五年貿易港たる横浜に來りて業を求めんとせしも、知る人も稀にして容易に職に就くこと難く、再び繪師に雇はれ種々苦心の末、遂に商館の行商を思立つに至りしなりと云ふ、君今や業成り家榮ヘ男女七子有し、長男貞一氏殆んど營業を擔任し、君は清閑なる日月を送らるゝ身となれり、古人言ふあり『勉強は幸福の母』と君に於て其眞味を知るべき哉」横濱成功名誉鑑
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