横浜魚油 岡野町

神奈川縣案内誌
横浜魚油株式会社
岡野町29番地 材木町1丁目1番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「我国魚油の海外輸出元祖にして椰子油の如きは原料を南洋に仰ぎ盛んに製造に従事しつつあり同社振込資本は参拾五万円にして配当は毎季一割を下らず各会社中成績の上より良好を以て屈指せらる。」現代之横浜

魚油製造販賣 橫濱漁油株式會社「これ大日本水産會々頭故小松宮彰仁親王殿下の御詠にぞある、その昔魚燈と稱へ漁火若くは山家の燈火などに使用せし魚油も、星移り物變りて今は諸多の工業上に使用し、必須の重要品となり貿易の途開けてより歐米諸國に輸出せられ、大なる國家の源と爲 たる、世の進步こそいみじき極みなし、明治廿六年十一月、渡邊福三郎森本文吉等の諸氏によりて發起せられたる本社は、專ら魚油魚蠟の海外輸出並に內地工業用油の需要に應じ、副業として椰子油及び亞麻仁油の搾取に從事し、刻苦研鑽十數年、改良發達の結果今や全國輸出總額の十中六七を占め、内地用の供給は殆んど其獨占に歸せるは亦偉ならずや、資本金は最初十萬圓なりしが、十九年貳拾萬圓に增加し、工塲三箇所總坪五千建物三十六棟二千二百坪、汽罐參臺原動力百五十馬力、職工二百二十餘名を使用し製品年額百萬圓に上る、歐洲各主要地には代理店あり、常に技術者を海外に派して視察するの要意あり、世界の魚油市塲に於て他國産に卓絶し日本魚油の名嘖々たり、殊に帝國海陸軍御用として戰時中は指命を受けて軍事上に盡せしと尠なからず、魚粕椰子粕亜麻仁粕はまた家蓄飼料又は肥料として外國にも輸出の先鞭を着け、成績好良なりと云ふ、製品の内外博覽會に於て賞表せられしこと數次、特製スパーム油は獨特の精製品にて急速なる旋轉器用油として他に比敵なしとぞ、現在重役は社長岡野利兵衛、専務取締役安達善藏、取締役吉永仁藏、取締役兼支配人前田叉平の諸君にして監査役は山岡竹藏、田口庄平の二君なり、」横濱成功名誉鑑

實業之横濱

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