奉祝記念誌 |
渡邊銀行
銀行
元浜町1丁目1番地(79)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
渡邊福三郎 元浜町1丁目1番地 自宅 西戸部町56番地「横濱實業界の元老渡邊福三郎君の家は東京の豪商渡邊治兵衛門氏と其祖を同じくし連綿九世に亘れる素封家にして曾て東京府會議員に選ばれ双二十年海防費を献納し特旨を以て従六位に叙し金製黄綬章を賜はり二十三年には互撰の結果貴族院議員の席を占め現今日本橋本材木町一丁目に住し株式會社廿七銀行頭取磐城炭礦株式會社浦賀船渠株式會社等の取締役及び東京灣汽船株式會社深川電燈株式會社等の評議員として首府業界に雄を稱しつゝありといふ福三郎君は夙に横濱實業界に馳聘し海産乾物を専業とし石炭屋と稱し及副業として銀行會社等に關係せり今日君が關係せる重なる諸會社を列擧すれば第二十七銀行東京瓦斯株式會社橫濱貿易倉庫と株式會社横濱共同電燈株式会社橫濱電線株式會社等の取締役として盡悴し又日本鐵道株式會社理事東京火災保險株式會社評議員横濱五品取引所理事横濱商業會議所常務委員等の諸職を兼ねたり其京演間實業界に於ける勢力亦想ふべきなり人或は日く両渡邊と平沼専蔵氏の三家を合すればその實力に於て優に三菱に當るを得べしと知るべし渡邊氏の勢力の侮るべからざるを想ふに横濱港は過去帝國の貿易本部として知られたり將來の趨勢は如何吾人が茲に纏説する迄もなく地利上今後益々発達すべき運命を有するは萬人の首肯する所なるべし而して茲に余輩が世人と共に期待しつつあるは現に進行中に属する同築港の工事之れなり築港工事とは現在の横濱港に内港を設けんとするものなり此工事にして成功せんか貨物集散の方法全く一變すべし此の際に於ける君等實業家の行動如何に依りては即ち天下の商権を掌握する敢て至難のことにあらざるべし吾人刮目して以て君等の将来を見んとす」京浜実業家名鑑
多額納稅者の筆頭 渡邊福三郎「安政六年本町五丁目にありし明石屋平藏なる石炭商は渡邊福三郎君の先々代渡邊治右衛門氏の支店にして、石炭の傍ら蠶絲海産物をも合せて取扱へり、明石屋新太郎と改稀し、渡邊吉兵衛氏の經營に移り、慶應元年福三郎君継承することとなれり、君は安政二年を以て江戸に生る、現代治右衛門氏の令弟なり、資性謹厳にして温如、而かも公共的の志深かく、苟くも休戚利害に關するとありと見れば身を挺して自ら難局に當る、則ち横濱共有物事件の如き、日露戦役後援事業の如き、率先して奔走し、快刀乱麻を断つの果断あり、曩に海防費を献納して從六位に叙せられ、貴族院議員に選ばれ勳四等を賜はる、邦家に盡くせし勳功旣に斯の如し、地方の重鎮たり實業の覇者たる所以の二三を臚列せんに、甞て市會及縣會に議員たり、叉市會議長たること數年現に市参事會員たり、廿七銀行、東京瓦斯會社、 橫須賀電燈會社、 東洋モメスン會社、石狩石炭會社、横濱倉庫會社、 東京製粉會社、橫濱電氣會社、 橫濱電線製造會社、成田鐵道會社、浦賀船渠會社、 横濱鐵道會社等の取締役及び東京火災海上運送保險會社評議委員、正金銀行、日清紡績會社、帝國興信所等の監査役に就任し、尙ほ橫濱商業會議所議員たり、又以て君が人格の如何を窺ふに足る、」横浜成功名誉鑑
渡邊商店「商號を明石屋と云ひ店主を渡邊福三郎と云ふ横浜第一の富豪と呼ばる海産物賣込を業とし近年銀行業を營むに至れり。」現代之横浜
渡邊福三郎「有名なる石炭屋にして古来老舗の聲價内外人の間に高く信用他に卓越せるを以て其取扱の海産輸出物の販路弘大なる固より言を俟たず」京浜名家総覧職業
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