明石屋製茶乾物商店 元浜町

明石屋 吉永仁藏
製茶海産乾物商
元浜町2丁目13番地(313)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

吉永仁蔵 元浜町2丁目23番地「聞く都會は人類をして退歩せしめ子孫三代都會の水を飲めば軟弱遂に向上心を失ふを以て屠龍博虎の英雄否英雄ならずとも一代の風雲児として然頭角を表はすものの多くは地方の出身者なりと然り君も亦其言に反かず安政四年六月風光明媚なる静岡縣榛原郡吉田村に生る父を權六氏と云ひ君其四男なり家世々農業に従事せしか君は家業にたらずして横濱に出で外國貿易に従事せんと欲し茶商加藤甲兵衛氏方に至り見習として同家に奉公する身とはなれり時に明治七年より十三年の秋には既に店務に熟達して一家を成す可く十分の素養を積みしかば同家を辭して十四年春小資を以て茶商を開業せり而して商賣は信用にあり信用は百萬の財産より勝ることを根本義とし當時奸商の緑青を以て茶色を付け以て海外に輸出しけるが遂に伯林にて露はれ日本茶は大毒なれば飲むべからずと布告され爲めに茶貿易に大影響を蒙りたるを奮慨して正實以て事に當りければ非常なる信用を得て其取引日に盛んに外人も安んじて君の商店に取引するに至り家運益々榮えければ十七年には新築して諸外國を相手に盛んなる貿易を營めり十八年茶業組合委員となり二十年茶業中央會議所議員となり二十六年には横濱魚油株式會社の取締役となり二十七年海產物評議員となり二十九年には市會議員三十二年には株式會社貿易倉庫の監査役となれり三十七年には區會議員三十九年には横濱肥料
會の副長等甚だ多し第五囘内國勸業博覧會には二等賞を得四十年の東京勧業博覧會には製茶海産物等を出品して各一等賞を得たりと云ふ斯の如く出てては社會の事業に盡し入っては家業の発展を謀るもの當代好實業家乏しからずと雖も亦得易からざるの材ならずや」京浜実業家名鑑

製茶海産乾物商 吉永仁蔵「吉永仁藏君は明石屋と稱し製茶海産乾物商として著はる、初め明治七年加藤伊兵衛氏の店員となりて實習せしが、明治十四年に至り小資本を得て開店せり、當時茶業の隆盛なるにつれ、奸手段を施し異種類を混入して外商を欺くものあり、爲めに製茶貿易の一頓挫を來せり、君憤慨止まず、斷然正業を固守して着實に日本商人の眞價を持續せしは實に貴ぶべきの事たり、斯くて家運益々隆盛に赴き、十七年店舗を新築し、後更に海産乾物賣込商を兼營す、明治十八年茶業組合委員となり、二十年茶業中央會議所議員に列す、廿六年魚油株式會社を發起して取締役に擧げられ、廿七年海産乾物商組合評議員に推さる、卅九年横濱肥料會社を發企して同じく取締役となり、四十年靜岡市材木町に於て、伏見氏と合資して伏見製茶合資會社を組織し、茶の再製を爲し其販賣並に直輸出を圖る、四十一年磐城セメント會社々長に推さる、其他貿易倉庫 監査役たり 、君製品の改良に注意し各所の共進會博覽會等に出品して金銀賞牌及び賞狀を受領せしこと幾回なるを知らず、又市會議員及び區會議員とし个聞あり、君は靜岡縣榛原郡吉田村の人、安政四年六月を以て生る、」横濱成功名誉鑑

実業之横浜

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