西有寺
中村町141番地
明治34年(1901)二宮村善光寺を移転し西有寺に改称した。
中村町141番地
明治34年(1901)二宮村善光寺を移転し西有寺に改称した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書
西有寺住職 玉田仁齢師「師は備後比婆郡下原湯の人、俗姓は湯淺嘉永三年を以て生る、九歲石州用田瑞岩寺玉田白毛師によりて得度す、後長州周鷹寺長江百衲師の許に修業師に從ひ濃州今須妙應寺に移る、明治六年逮州可睡齋に上り林玄齡師に隨侍すること五年、西有穆山師玄齡師に代りて齋主となるに及び又之れに隨ふ、實に十一年の久しきに涉る、後積名寺住職となりしが、堂宇荒蕪只礎石を存するのみ、拮据經營漸く再興するを得たり、再び可睡に入りて役僧となる、明治廿三年穆山禪師の命により横濱野毛道了殿の恢復を計り、太田治兵衞上郎幸八金子縫藏岡崎安之助四氏の協賛助力によりて根岸相澤に西有寺を建立し、明治卅三年三月穆山禪師を開山として駐錫となす卅六年暹羅國皇大太子殿下臨御公孫樹二株を手栽せられ、併ㄝて金幣下賜の台命あり、蓋し事殊遇に屬す、師頗る理財に長じ且徒弟敎養を好み、到る處に其道を講ぜざるはなし、殊に昨年來大江湖會を置き、全國の雲水八十八名の修行をなせしが如き叉師の功德にして、滔々たる濁世多く得がたき高德の清僧と云ふべきなり、」横浜成功名誉鑑
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