加山道之助質店 真砂町

加山道之助
質業
真砂町2丁目31番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

加山道之助 真砂町2丁目31番地「實業家にして國事に奔走し社會民衆の爲めに貢献する所ある者世其人に乏しからずと雖も多くは自家一身の射利と名誉に齷齪して眞實公事に盡力する者多からざるは吾人の甚だ遺憾とする所なり我加山道之助君は國家緩急の時に際し一家を捨て一身を捧げて砲煙弾雨の間に激戦し遂に偉勲を奏して凱旋し勳七等功六級榮勲を負ふに至れる者真に我が實業界の異彩となすに恥ぢざるなり君は横濱の人由五郎氏の長男にして石川仲町七丁目百三十九番地に生る家代々質商を営み世間の信用尤も厚く家名近隣に陰れなかりしと云ふ君幼にして學を好み小學全科を卒へ三十一年横濱商業學校卒業後今の眞砂町に支店を設け自ら其店主として日夜其業を勵みしかば家運益々隆盛に赴き既に同業者間に重きを爲すに至れりと云ふ初考ふる所ありて一年志願兵を出願し三十一年十一月高崎第十五聯隊に入営し服役一年克く軍規を遵奉して何等誤る所なかりければ三十二年十二月陸軍歩兵軍曹として除隊せる君乃ち家業に従事し寝食を忘れて業務の擴張を計りたりしが偶々日露の間●隙を生じて三十七年遂に干戈を交ふるの已む能はざるに至りしかば其三月君又召集せられて征途に就く夫より各地に轉戰して常に大功を顯はし殊に旅順口攻包圍戦に参加して數月の苦戦に從ひ開城後更に轉じて奉天を圍む偶々不幸にして敵弾に中り内地に還りて陸軍豫備病院の治療を受けしも右手終に不随となり三十八年三月全く兵籍を退くに至れり三十九年十一月町内金港軍友會の會長に推され又町内衛生組合委員に選まれ自ら進んで其任に衝り業務の傍ら大に公共の事業に盡瘁しつゝありと云ふ君の如きは實に軍人の花として又我實業界の龜鑑なりと云ふべし」京浜実業家名鑑

横済癈兵會々長「横濱癈兵會會長なる加山道之助君は由五郎氏の長男石川仲町に生れ、長じて商業學校を卒へ、今の處に支店を設け店主となる、三十一年一年志願兵となり高崎十五聯隊に入り、軍曹に任ぜられて歸郷し、益々家業の擴張を圖りしが、日露干戈を交ふるに至り豫備より召集せられて出征し、旅順の攻圍軍に参加し、更らに輾じて奉天に向ふ、偶然弾丸飛び來りて右手を傷く、護送されて陸軍豫備病院に於て治療を受けしも終に隻手不随となりて軍籍を脱せり、功によりて勲七等功六級を賜はる、後癈兵會を組織して會長となり、同病相憐むの情具に奔走の労を執れり、又横濱軍友會眞港會々長に推され、眞港會幹事及町内衛生組合委員を兼ぬ、」横浜成功名誉鑑

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