薬舗
富士見町1丁目3番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「庶民の病を治し補温調血の効があると云ふので其昔膃肭臍を幕府へ献上した處が珍なりとあって各領主に其お裾分けがあってから、兎に角効顕がある事を認められたので、膃肭臍丸といふもの迄出来て民間に持て囃されたものである。咳止飴はそれから思ひ付いたのではなく、店主が曩に北海道に於て病者に効能がある事を実験した結果案出されたもので、殊にアイヌの病者などには膃肭臍の効果は顕著なものであったそうだ。元来膃肭臍には固有の匂ひがあるから、橙皮を以てそれを消し、他清涼剤を入れて飲み快くしてある。開業以来まだ十年になるかならないのであるから規模に大したことはない」実業之横浜
膃肭臍咳止飴本舖 古井音吉「思素力に富める人必ずや何物をか産む、古井藥店主人古井音吉君の如き即ちそれなり、君は靜岡に生れ、幼少既に工風意匠の才あり、在郷中種々の營業を試みしが一として成らず、されど君は屈せずして二十二歲の頃香水原料製造法に就き研究し、其の徒勞に終るや二十六歲の時上京して某店に入る、而して其業亦理想に副はず、廿七年平素思ひを潜むる藥品原料採取を企て、北海道に渡り膃肭臍の効を知るや、彼地を一周する殆んど二ヶ年、卅年出濱し現所に薬種業を開き、初めてオットセイ咳止飴を製造發賣す、當時此の効を知る者無く隨て販路も狹し、君乃ち近隣の病者に惠贈して漸く顯著なる効能を知らしむるを得たり、今や全國に普及す、尚ほ君の製造に係る香水香油等各種あり、皆好評を恣にす、」横濱成功名誉鑑
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