山川屋酒店 境町

横浜社会辞彙
山川酒店
境町1丁目26番地(1212)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

山川酒店 田中留次郎「四方、山川は共に江戸に於ける有名の酒店なり、況や山川白酒の名は實に都下を壓せるもの、明治二年山川本店の暖簾を分たれて横浜衣紋坂に出店せしは實に田中留次郎君となす、君は東京浅草の人嘉永二年の生、永く山川本店に仕へ初め本店の事業として横濱に山川支店を出し君は其主任なりしが、明治十一年の頃或る打撃の為に本店は非運に際會せしかば、十三年に至り君は横濱支店の後を承て之れを經營し、因習を洗滌し店規を改革し、花のお江戸の一名物として軍書講談にまで噺し立てられたる數代連綿の奮家の没落を見るに忍びず、五百金を出して一時の難を救ひ、剰へ舊主親子を横濱に引取りて之を奉養し、死後の埋葬供養等決して疎かならざりしは人皆傳へて美談とする所なり、此積善功徳の家豈餘慶なくして可ならむや、逐年繁昌して山川酒店の名長へに絶へず、分店支店の數も市内に數軒あり、叉同業組合を起して役員となり其牛耳を執る、君叉信仰心厚く、神佛に對する敬虔の念感動すべきものありといふ、」横浜成功名誉鑑

横浜商況新報

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