平石ミルクホール 常盤町


平石ミルクホール
ミルクホールの開祖
常盤町3丁目22番地か。(1412)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

ミルクホールの元祖 平石左源次君「ミルクの 元祖は蓮杖翁でホールの元祖は平石君だ、君は江州彦根の藩で幼少の頃から苦労をしたとは非常であった、 尤も槍一筋馬一匹の家に生れていかに時代とはいひながら俄かに町人とならなければならぬのだから勿論の事だ、君の従兄に當る河西忠左衛門といふ人は二刀流の達人で櫻田騒動に有名を残こしたとは大道講釋にまで演せられて世人の普く知る處だ、こんな家柄に生れた人が幼少より商家に養晴れて輾々流 遇して此地に來り、 近榮洋品店に鞋を脱いたは明治十七年の頃であった、後に西洋小間物の引取商となって独立營業をして居られたが、偶々卅五年の一月元旦に思ひ浮んだ新奇の事業は則ちミルクホールである、衛生と簡便で誰でも這入って自由に滋養品を摂取するといふ考案で、店の構造はビヤホールから思ひ着いたといふことだ、決心をしたれば矢も盾もたまらず、早速に開店した、新奇の妙計的中して續々来客の絶え間がない、随って尾上町羽衣町戸部町に支店を出して益々繁盛した、すると又眞似手も多く出来て、現時では横浜市中に三十餘戸の多きに達し、東京市の如き五百以上に達し其他の都會にも順次同業者が出来る様になった、そこで市内ミルクホールの組合を造って君は其組長に推されて居る、人間一生の仕事は終って見ねば分からぬものたが、君が常に自家の箴とする所は悲觀の境遇より楽觀的に移るといふのであって、君は是によりて成功したと告白さるるのである、」横浜成功名誉鑑

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