田沼太右衛門
書店
尾上町3丁目27番地(335)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
田沼太右衛門 尾上町3丁目27番地「嘉永六年六月埼玉縣北葛飾郡八代村大字天神に生る父を幸右衛門氏と云ひ君は其二男なり叔父新左右衛門氏嗣子無かりければ君は養はれて其後を嗣ぐ六歳の時横濱に出で父と共に雑穀商を営みしが斯業は君の喜ぶ所にあらず二十一歳の時材木商を營みしが不幸にも材木大火に罹りて大損失を招くに至れり然れど君の不屈不撓にして大謄なる一旦の蹉躓の如きは殆んど意に介せざるものの如く幾度か職を更へ幾度か失敗して然もと君は其間に着々として成功するものありしかば大災後己に書籍出版業を始め東京及び横濱に開店遂に今日の如き聲名を成すに至れり其横濱に於ける君の勢力は實に非常なるものにて公職の多きを見て其一班を知る可し神奈川縣會副議長を三期勤續せしことありしが如き横濱共同電燈會社取締役たる如き横濱高等女學校を設立して自ら校長たるが如き又横濱教育水族館に長たる如きは其最なるものにして而して君の關するものは一として成功せざるものなし又其賞與として受けたる銀杯木杯は殆んど数十個に達して銀茶道具一式を授けられたることもあり其横濱取引所理事長を辭する時は感謝として銀杯を贈られ日本書籍會社よりは曾て攻勞を以て金盃料として一千金を得る等實に枚擧に遑あらざるなり而して三十六年橫濱電氣鐵道創立の時は創立委員として盡悴しに取締役となれり又曾て久我侯爵を會頭として君は其の副會頭となり大日本義勇奉公録を編纂して奉公の大義を鼓吹し赤十字社評議員となりて同社の爲めに盡悴しつゝある等其の他列記の煩に堪へず實に君の如く實業政治教育及び慈善等の諸方面に活動して然も着々功を奏ささる無きは精力絶倫にして識見卓抜一世を蓋ふの士にあらずんば能はざる所なり」京浜実業家名鑑
「横浜に於ける屈指の書林なり新刊物は勿論和漢洋書籍等店舗に陳列し四方の顧客来集しつつあり尚着實に業務を擴張せり」京浜名家総覧職業
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