太田町通

太田町通
「太田町通は開港最初の埋立地なり、是に續来て港崎町は埋立らる、江戸深川石場なる材木問屋太田屋徳九郎が、政府の命によりて開拓せるものにして、出入の人足頭源左衛門代人として、普請に着手す、太田町の名稱は是れによりて起れり、次第に埋立てられて今の關内を形成す」横浜成功名誉鑑
明治の横浜手彩色写真絵葉書

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