萩原写真店
写真店
扇町2丁目44番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
萩原寫寘店 萩原喜三郎「海岸十六番館フヮルサリー氏は寫寘術の泰斗にして數多の青年有爲の技師を養成せり、萩原喜三郎君は則ち其一人にして出藍の譽あり、明治三十二年現所に開業し、嶄新なる撮影、巧緻なる手腕、夙に世人の認むる處となり、顧客其門に麕集するに至れり、夙に夜間撮影の技術は優に一頭地を拔くの慨あり、印紙寫寘及び名刺寫寘の二は獨得の逸品にして其製造販賣に係る、ブロマイド紙は他店の模倣し難きの妙ありと傳へらる、君は當市の人明治九年を以て生る、」横濱成功名誉鑑
「海岸十六番のフワッサリーに就いて斯業を修得し、明治三十五年に現今の處へ開業したのであるが、同三十六年三月から印紙寫眞と云ふのを製造販賣した、これは印紙形の寫眞で百枚一圓であるが原寫眞の無いものは三十銭の撮影種板代を出せば出來るので、用途は多く書簡の封緘に張るのが目的で、其他名刺にも調製する、是は京濱間に當店一軒である、で、什縻いふ人が重に用ひるかといふと、目下の處日本人では傭通譯であって、支那人印度人等は其主なるもので香港邉りから大分注文が來るさうである。それからもう一ツ當店の獨特がある、それは夜間撮影であるが、只の夜間撮影ならば普通何處の寫眞店でも撮影するが、當店は例のマグネシュームを使はないでアセチリンで寫す、マグネシュームで撮影するときは、太陽の光線に均しい光を一時にぱッと燃すので、眼を閉り又は睜り或は肩を窄めなどして、多く驚愕の姿で寫る、のみならず、平光線であるから姿が浮かないが、是等の缼點はアセチリンには爲し。始めは瓦斯などで種々研究したが甘くいかなかったので、アセチリンで漸く其効果を収めたが、三千八百燭の装置を設備してある。當分は廣目の爲晝間撮影と同値段で寫すが、其内に瓦斯代位ゐは餘計にして貰ふ目算だと云ってゐた。」実業之横濱
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