磯子観音堂 磯子

横浜社会辞彙
磯子観音堂
磯子町宮下880番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

磯子觀音堂「磯子町海光山金藏院の境内に在り諸願の霊驗著しきを以て有名なるが其緣起に依れば本尊聖如意輪観世音菩薩并に御脇士閻魔大王は鎌倉北條泰時の内室度々の妊娠あるも毎に平穏ならず産兒は悉く天死し富貴顯榮も儲嗣を定むるに由しなく夫婦の落膽は一方ならず其後三十三歲の厄年に懐妊となりしより心中甚だ苦悩し佛天の加護を仰ぐにあらざれば無事の安産は迚ても望むべからずと爲し當時の大德明恵上人の許に無事安産母子健全の加持祈念を乞ひければ上人は懇に因果の道理を説き是れ皆宿世の業障消滅の爲めには閻魔大王を念じ現世の福壽の爲には聖如意觀世音を祈願し供養せらるべしとの旨により泰時夫婦は鎌倉の名工に仰せられ齎戒沐浴嚴重の式を以て微妙端正の観世音菩薩并に閻魔大王の尊像を刻みて邸内に安置し上人は百日の祈念秘法を修せられ泰時夫婦も信心供養怠りなかりければ時至り月満ちて少しも産氣の悩みなく玉の如き男子出生あり母子共に健全たり夫婦は信心肝に銘じて尊崇益々深く生涯の守本尊とし供養禮拝せられんとするも斯かる靈像を俗家に安置するも恐れる次第となし海光山金藏院の住職は明惠上人の弟子なるを以て数多の田園を寄附し永代供養の程を御懇囑により金蔵院住僧は共旨を領受して以来金蔵院の道場に安置し怠りなく供養し奉りければ遠近の善男善女信心の輩引きも断らず無事安產利運發達の諸願は恰かも影の姿に添ふ如く靈驗著明なるは今日も昔に變らず感得する所なり本堂の正面に東久世正二位通禧伯の筆になる通閣を掲げあり緣日は毎月十九日にて業障消滅現世編壽祈願の霊験所として世上に知らるる著名の観世音なり」横浜社会辞彙

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