綿貫張洗店 福富町

横浜社会辞彙
綿貫七之助
張洗
福富町2丁目44番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

綿貫七之助「君は耐忍にして勤勉、正直にして獨立の勇気を皷して小資本より洗張店綿貫商店を営み社會の信用を得るに至りたるものにて明治六年六月六日埼玉縣入間郡精明村大字平松に生る綿貫角五郎氏の二男なり明治十七年四月九日十一歳にして横濱市福富町二丁目四十四番地山下辰五郎氏の商店員となり十三年間忠實を旨とし勤勉努力し明治二十九年五月十日主家を退き資本金拾五圓を以て洗張店を開業し鶏鳴に起き夜は十二時に臥し一意専心誠意を以て業務に勵精し次第に華客の信用を得るに至り翁町二丁目二十八番地に商店を新築し翌年倉庫一棟を建築して益々營業を擴張し明治四十一年九月一日舊主山下氏の商店倉庫等を譲受けて市内に四軒の支店を設け洗張整練業に従事し福富町を本店と定め翁町の商店は令弟加藤泰造氏に貸與し常に店員を督勵して奮闘せり君は眞摯眞實にて華美を好まず言々皆至誠より出で人を感服せしむるものあり令息林藏氏は(二十歲) 東京日本橋區本銀町金子商店員となり長女初子は(十六歲)愛隣女學校三年生にて他は小學校に通學せり」横浜社会辞彙

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