神奈川県銀行会社実業家名鑑 |
村田梅吉
建築技師
長者町4丁目46番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
村田梅吉「京濱鐵道の敷設さるゝや、川崎新橋間を設計せるは英國技師ゼー、ダイヤック氏にして、川崎横濱間は佛國技師ジェーレスカー氏なり、此兩氏に私淑して各其長所を收得せる建築技師村田梅吉君は浦賀の人累世工匠の頭領にして若松氏は海軍省の御用建築師なり、君より算数の才絶倫にして麒麟児の稱あり、 成童の頃より乃父の事業を助けて工事の監督をなし往々諸先輩を驚かせしてとあり、明治廿二年十月横濱に来りて英佛技師に就き泰西新式の建築技術を研究し、妙技神に入る、卅三年八月中越後直江津在なるインターナショナル石油會社の精油所建築技師長(月俸貳百圓)として工事を董督し翌年一月美事に竣工せり、此間上地の農民は自家職工に離るるを杞憂し、一揆して工場に肉迫せり、君從容として諄々利害を説きて百方慰撫に勤め、終に會社に交渉して農民全部を會社雇人に採用することとせり、此任俠なる措置は尋常建築技師の企及し得ざる所なり、君の世に處する常に義を以て自己の箴となし、克く部下を愛撫すると兒の如し、宜なり其指顧に隨ふ慈母のあるや、君が建築上に於ける特技は洋館築造にあり、横濱市内要樞の街衢その美観を添ゆる洋風建築中君の手腕より出でしもの多しJ、L、の標記は先師レスカー氏より讓興されたる者又以て誇とするに足る、資性寛厚にして威厳自ら備はり、人に長たるの態度ある中に能く談し能く語る、嗜好は銃獵、弓術、謡曲の外頗る繪畫に趣味を有し、新興美術は獎勵せざるべからずとの持論より、洋畫研究所等に隠然保護を 興へしこと多しといふ、又公共事業に奔走し其功少なからず、賞状銀杯等の寄贈を受けしと少なからず、現代多く得易すからざる好紳士といふべし、君は明治元年京都二條に於て生る、」横浜成功名誉鑑
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