Yokohama and Vicinity |
後藤七宝焼工場
七宝焼
内田町8丁目38番地(459)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
横濱七賓器商の鼻祖 故後藤省三郎 高島町1丁目38番地「七寳焼は尾州海東郡を以て最盛なりとす、明治六年名匠故後藤省三郎氏は外國輸出を謀り横濱に移住し、百方苦辛の結果漸く明治十年に至り、精巧なるものを製造して、濠洲アデレート博覧會に出品せしが、聲價頓かに揚がりて海外の注文頗る多し、よりて工場を新設し一時は職工三百餘人を使用して頗る盛大を極めたりしが、明治十六七年頃其有利を羨む者、粗造濫製の弊甚しく、終には輸出杜絕の悲境に陷らんとす、君等有志は大に之れを憤慨して堅く規約を定め、熱心恢復策を講じ、明治十八年に至り特得の製法を案出し、日本眞美術の光輝を發揚せり、七實器製造上に於ける一大歷史を有せる君は明治三十六年六十九歲の高齢を以て沒す、郷里海東郡に在る紀功碑には永へに其功德を詳叙せり、長女千代野孃家督を繼承し、職工を督勵し盛に製造を持續せらる、實に我橫濱に於ける斯業の白眉たり、」横浜成功名誉鑑
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