吉田絹物商店 本町

Yokohama and Vicinity
吉田商店
麻布加工品絹織物雑貨商
本町3丁目48番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

麻布加工品及雑貨 吉田直次郎「麻布加工商弾條玩具等を居留及漫遊外人に販賣して頗る繁盛を極めつつある吉田商店主直郎君は多年飯島商店にありて錬腕機敏の称ありし人なり四十年三月獨力開店し、玩具デァボロを賣廣めしを手始めとして、りネン窓掛机掛等に嶄新の意匠を凝らし、殊に手巾には瀟洒たる刺繍に名入の趣向は大に時好に投じ、京濱流行界の紳士淑女をして絹手巾を棄てて顧みざるに至らしめき、創業日猶浅さもかく勢力を得られしは一に魔告利用の妙と、流行の機先を制する着眼の他と異なる點あるを證すべきなり、玩具の如きも輸出に重きを置きしが、内地へも廉價の大勉強にて注文の多少に拘はらず奮發する決心を示されつつあり、此後の發展や驚くべきものあらむ、」横浜成功名誉鑑

「多年飯島商店員として辣腕の聞え高かりし吉田直次郎氏が、昨四十年三月に開店されたのであって、先づ手始めに吉田商店の名を廣めんが爲にデアボロを賣廣めたいのだが、廣告法と商累の宜しきを得て畫策 圖に當り、世間の耳目に新たならしめて、大に好評を博し盛んな賣行を見た。で、一方に麻布加工の窓掛、卓掛、机掛等を賣始めた處が是亦好評で單に外國向のみで無く東京などからも注文は續々と来て、縫取りの種々なる模様が瀟洒として優美である處から注文をしてゐるが横濱では未だそれには氣が付かないが其かはりに少し氣の利いた紳士淑女は麻布手巾を手にして東京の如く絹手巾を持つものが無い、これは模様と名の刺繍入一ダースが金四圓で同店で販賣してゐる、其他玩具としては理化学を應用したものもあるが、強ち高價なものばかりではなく三銭五銭といふ廉價なもの迄ある。弾條玩具などは時々外國から数萬の注文があって輸出を爲し、麻布加工品、玩具共居留外人、漫遊外人を主なる顧客としてゐたが、是からは内地に廉價に販賣を爲す計畫で品物の多寡に拘はらず店賣りに努める由。」実業之横浜

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