後藤輸出入商店 太田町

現代之横濱
後藤商店
皮革直輸出入商
太田町4丁目74番地(456)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

皮革輸入商の巨頭 後藤房吉「君は郷里伊勢松坂に於て呉服太物商を營みしが、明治廿三年斷然舊業を抛ち橫浜に來て皮革商を試みたり、我國古來よりの風俗は淸潔を貴び、加ふるに佛法の感化によりて殺生の禁上下に行はれ、隨て皮革業の如きは全く幼稚にして、文明の今日俄に海外列强と比肩せむとするも、日用必需の品に於てすら陷缺なき能はず、因襲の久しき俄かに之を内地に求むるも猶木に緣て魚を探るよりも難し、君は此遺漏を補ふの抱負を以て、父祖傳來の業務を棄てて無經驗の事業に着手し、細心留意一事を忽せにせず、着々步武を進めて卅一年度に至り、終に直輸入を開始するに至る、我國二回の對外戰役、蓋し君等皮革商によりて多大の便宜を得しは論を俟たず、謙抑なる君は着實に業務を擴張し、現に横浜に於ける斯業界の重鎮を以て目せらるゝに至れり、其他三十四年には印度藍の直輸入を爲し、現下の營業品は皮革類一切及ゴム靴其他靴附屬品の輸入を最とす、君は萬延元年の生れにして、頗る敬神の念に篤く、金光敎會の信者にして橫浜に於ける同敎明酉會の會長たり、平生慈善を好み、公共事業に義捐寄附せしこと莫大にして、銀盃木盃等の受賞數多あり、叉商界中の士君子なる哉、」横濱成功名誉鑑

貿易新報

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