横浜社会辞彙 |
金田楼 かね田
会席料理
尾上町5丁目81番地(1475)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「罹災後増築既に成り其構造と調理とを以て知られ開業以来数年なるも有名の料理店たるに至れり。」現代之横浜
會席料理かね田 山田テツ子「橫浜全盛時代は是れ富貴樓全盛時代なりき、白馬金鞍一世にときめく貴公子より、一攫千金に陶朱を氣取る成金黨まで、擧げて富貴樓上を揚州の如く夢想したるなり、嬌名嘖々鶴背の客に喧傳されし野毛のおかね君は後に千登世に移り、春秋茲に十有餘年、その聲價の高浸乙の纖手による處多かりき、明治三十九年七月一日尾上町五丁目に別に店舗を新築して、かね田といへろ招牌を揭ぐ、幾多眷顧の客競ふて之れを訪はざるものなく、日ならずして好評月旦の首に上る、叉盛ならずや、女將本名はテツ、橫濱元町の人慶應三年を以て生る、」横浜成功名誉鑑
神奈川縣案内誌 |
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